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5/2/2017

 
なんだか妙に疲れを覚えて、きょうは休みだったけれど寝てしまった。こういうときはだいたい精神的にも詰まった感がある。
 朝から昼に「スマホで朝生」なる番組をYouTubeでみた。3月の放映分。AIについての議論。堀江貴文と落合陽一などが出演。
 AIについての知識。それへの考え方。AI危機論。人文知や既存芸術との折り合いでつい考えてしまうが。
 いやでもよくてもAI技術は発達して生活にも更に入り込んでゆく。社会で存在感も増してくるし影響力も増してくる。
 宮台真司がいう「主体」というのとかかわること。いま、僕がこうして考えて書いていることも、脳科学的に解けるしAIやビッグデータのリソースとしても解ける、として、「文学」の有効性はどうなるだろう。「自己表現」というものの、そもそもの有効性は、普遍的な価値にかかわるなにかではない、ということになるか。

 AIに関する議論は整理が必要だとおもう。
 さんざん、いろんな人の「ライブ」を見てきた。彼らがステージ上で歌う、そのとき、彼らはなにをしているか。それはとても生身な行為で、その限りでAIには代替できない。人間が人間であったという歴史、古代からの音楽のコミュニケーションの歴史というものもたぶんある。

 AIは、ラクさせてくれる。目の前に作曲してくれるAIがあったら、とりあえず使うだろう。出てきたものが良いか悪いか判断するのは僕だ。
 そこで失われるものがあるとしたら、吉本隆明的な考えでいけば、やはり沈黙にかかわるはなしだとおもう。
 書道というのは筆跡をみるんだ、というはなしを聞いたことがある。そこに書かれているカタチをみるのでなく、むしろ筆者の筆のはこび、書くときのいきおい、なんかをみるのが書道の鑑賞なんだ、と。つまり結果でなくプロセスをみる、想像するんですね。
 となると当然、AIにはプロセスがその意味で「無い」のだから、その分だけ「つまらない」。これは、芸術的価値にかかわるとおもう。ただ、じゃあその「プロセス含めて鑑賞する類いの観客はどう確保するか」という問題。ゲンロン4のことばでいえば、「批評というゲーム」が機能するには観客が要る。批評は観客を要請する。だからみんな、観客になれよ、と。
 観客がいることで芸術の場が保たれて、再生産可能になり、それが文化になり、人間社会に根付いてゆき、局面で物事の是非を考える能力になったり、感情の豊富さになったりする。文化にはいろいろ、良い面があるはずだ。
 最近おもうのは、「文学なんて役にたたねえ」「でも役に立たねえからいいんだ」という意見の退き。吉本隆明はそう言っていた派。この段階では、「役に立つ」「役に立たない」ということばの使い方がいまと変わってきたのだとおもう。高次産業社会より前の感覚なのかな。つまり食う食わないに関係ねえ、ということ。だけど人間に必要な、人間たらしめているなにかだ、と。
 こういう言い方から、背景が変わった。文化芸術の有効性を文化芸術自身がアッピールしないといけなくなった。自らの必要性、必然性を自己証明しないといけないんですね。価値相対主義において。




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 30才は成人式。「成人式」が行われるようになったのはいつ?そのときの平均寿命といまとの比較。

 べてるの家の当事者研究。研究というと公へ提出するもの、というニュアンスが濃くなり、それがいいのだ。「自己反省」だとまだ内側にとどまる感がある。社会化への道筋がつくことが突破口になる。

 生まれたことに意味がある、と人間がいえるか。個々人がそういえるか。時代が変わっても、AI時代になっても、その条件は変わるだろうか。生まれ、生きたことに価値を見いだす考えが深まっていかないといけないだろうが、今後の状況に対応しないといけない。条件は変わる。近代意識を更新する必要があるということだ。それは当然のことで、でもうまくやられていない。必要なことはまだまだ手つかずのままとおもえる。
 ステージに立つ、歌を歌う、ということは、けっこう不思議なことだ。これは、なんだ。ある種の憧れゆえか。そうかもしれない。この「歌」というもののメッセージに、別様のなにかを込める試みをやりたかった。間接話法でイメージをつくる。可能性を出現させる。
 ある理想の場の状態。理想の場のイメージがなんとなくあって、そこに近づきたい、という願望がある。それを追い求めているともいえた。理想の場はじゃあどんな条件に依っているだろうか。それは僕にとって「生きやすい場」ということがはじめにもとめられる。誰であっても「自分にとって生きやすい場」をもとめるだろう。さらに、挑戦的でなくてはいけない気がする。これは自分の資質の延長線上で、自分の得意な挑戦ということになるだろうか。自己暴露だって挑戦だけど、とくいなことかもしれない。



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 「苦労を取り戻す」か。
 
 正義と悪が、反転しますよ。それは、かくされたなにかの結果で。
 具体的になろうとしないので、それはポエムたるのだった。
 
 いいか、悪がはびこっている。
 いいか、正義が悪をやっている。

 正義が悪いんだ。みんな正義が悪い。

 ポエムだけ。やりかたはポエムだけ。
 いや、もっと、具体に、、、。
 そうなるときは散文だった。
 散文の先に、他犠牲的な暴露があって、、、。

 私小説は破壊する。
 まず、破壊衝動。
 悪が正義になるだろう。
 悪が正しいからだ。




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 例をあげたい。なんだろう。世にも奇妙な物語。つまりなんだろう、常識というか、自民党の憲法草案。あれの家族愛、素朴なことを議員さんはいうが、そういったものの悪性だ。

 過去も未来も無視したいまへ。

 素朴なことを僕もいいたい。意味が不明瞭でもいい。意味が不明瞭で、それはでっちあげない。意味が不明瞭とはなんだろう。
 さけていて表現していて、それはマシュマロマンのような体躯で。精神運動の普遍性にくらべれば彼の理屈なんて人工的な蝋細工にすぎない。人間として生きていくことのいくつかの困難な側面をスルーするか否か。スルーする技術、スルーすること自体の是非。

 話が通じないので、こころがそれだけ壊れ疲れた。壊れ疲れたことをつきつけたいので公にそれを公表しようかとおもった。おもいうかぶリベンジポルノ。犯罪への共感と理解の契機はあるのだが。
 
 人殺しは善である。テロの人たち、そう教える教育効果があるとおもう。それはイメージの段階からくる。反転する。価値を反転することに惹かれるのは、価値を憎むからだ。



 少し混乱している。おちつこう。おちつきたくない。いいか、善悪とか倫理とか、それが主張されるときは当人の当事者性が肝要だぜ。どこから言葉を発しているか。僕は、精神の言葉が、ポエムになるとき、現実はかっこに入るんだ。善意の人間は悪い。そうとしかおもえない。
 曲がり角に来た。電柱。ぶつかると、ごん。すべて世界がまんがになる。一時避難所としての低次空間。昔のファミコン、ドット絵。
 自分の発育とともにゲーム機も性能があがって。そういう意味での同時代性はテレビゲームが一番ある。新しい技術、ハード、それはわくわくするものだし、期待と希望があるもの。
 ときどき、スパロボをやりたくなる。あれは、アニメごとの文脈があって、機体や操縦者に感情移入した。物語性があった。そういうもの。そういうものを動かすこと。赤い敵がいて、最適手順で倒すこと。経験値、獲得金を最大限もらうこと。機体や操縦者を強化すること。
 指先の操作で世界を制覇し勝利できた。それは「成功体験」と呼べるだろうか。ゲームのなかでの苦労は苦労と呼べるだろうか。そうでなかったら、それはなにであって、なんの時間だったろうか。
 
 なぜ、人は、自分の世界観を人におしつけようとするだろうか。それは善意だ。善だからだ。もうすこし、自分を疑ってみたほうがいい。違う視点で考えてみよう。僕が反論したとして、それでも、話が通じない、またふりだしにもどる。
 話の仕方が悪かったろうか?文書にしてのこそう。外交文書のように明確に書こう。文書を基点にしよう。また話すときは文書をふまえてやろう。

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