2021年
11月24日(水)
・なんでしょうね。まあ今後のことについて、考えましょうか。社会的には、コロナの波は収まっている。マスクはいつ外すのか、というタイミング。子どもへの影響。大人が自分の立場だけで考えないこと。
・個人的には、こうしたアウトプットをどうする。まず創作的に。次いで活動的に。その活動は共同体的な方向か。
・というか、まあ、普通に事務的に(みんなが)やっていることを復活させていくことから、なんだろうけどな。あとのアイディアはそれから。自然とふくらむし、やってみてからもまた。
・個人的には、こうしたアウトプットをどうする。まず創作的に。次いで活動的に。その活動は共同体的な方向か。
・というか、まあ、普通に事務的に(みんなが)やっていることを復活させていくことから、なんだろうけどな。あとのアイディアはそれから。自然とふくらむし、やってみてからもまた。
11月23日(火)
・まあ飲み会とかって色々テーマがありますよね。それについて考える。
11月22日(月)
・昨夜は楽しんだっす。最近この日記も硬い話題がおおく、これじゃあ見づらいのでは……という懸念が想起されるのでありまして、えーこれは早急に
・千葉LOOKにダグアウトカヌーのVO大槻茂到くんのソロライブを見に行く。楽しむ。
・千葉LOOKにダグアウトカヌーのVO大槻茂到くんのソロライブを見に行く。楽しむ。
11月21日(日)
・マターナリズムとパターナリズムを考える。“パターナリズム”を再評価せよ。父性がどう「役に立ちうるか」を。
・前科者の再包摂を社会が放棄しつつある現実を批判せよ。
・小室圭さん、眞子さんの結婚。秋篠宮殿下の発言、態度。僕は、「秋篠宮殿下の発言」、つまり“国民が喜ぶ状況にならないと式はできない”という旨の発言こそが、ダメだったと思う。あれこそ批判すべきだ。
・どのような出自のものだろうと、差別なく受け入れるのかどうかという、その議論こそ中心にすべき話だった。左翼も、リベラルも、フェミニストも、その点でまったく批判力を失っているのではないだろうかと思えてならない。
・ブルジョワとプロレタリアの対立。階級闘争。そんな古色蒼然としたイデオロギーが退潮したあとに、こんなふわっとした「差別に寛容な」社会ができたことへの感慨。
・「目を合わせる」というのは一対一の関係でしか起こり得ないよな。
虐待受けた子ども、愛情に関する遺伝子に変化 脳の容積低下で「目を合わせられない」可能性 福井大学の研究センター(福井新聞ONLINE) - Yahoo!ニュース
“虐待などの避けるべき子育て「マルトリートメント」(マルトリ)を受けた子どもは、愛情や信頼の形成に関わるホルモン「オキシトシン」の設計図となる遺伝子の一部に後天的な変化「DNAメチル化」が多く生じているという研究成果を発表した。”
“この脳の部位は、他者の視線認知と自身の眼球運動との連携に関わっているとされ、容積の低下により人と目を合わせられないなどの影響が出る可能性がある。”
・コロナ禍のマスクの影響を想起させた。
幼少期の嗅覚刺激が行動に影響「におい刷り込み」解明 福井大研究グループ | 医療 | 福井のニュース | 福井新聞ONLINE
“「刷り込み」は幼少期に外界から受ける嗅覚や触覚、聴覚などの刺激によって脳内の神経回路が変化し、生涯にわたって影響を及ぼす現象。アヒルの後追い行動やサケの母川回帰に代表される。”
“生後1週間までに脳内のタンパク質「セマフォリン7」「プレキシンC1」が結合し、においに関する神経回路が増強。この時期に鼻をふさいでいたマウスは、本来興味を示すべき仲間のにおいを避け、自閉症と同様の行動を取るようになることを確認した。”
・前科者の再包摂を社会が放棄しつつある現実を批判せよ。
・小室圭さん、眞子さんの結婚。秋篠宮殿下の発言、態度。僕は、「秋篠宮殿下の発言」、つまり“国民が喜ぶ状況にならないと式はできない”という旨の発言こそが、ダメだったと思う。あれこそ批判すべきだ。
・どのような出自のものだろうと、差別なく受け入れるのかどうかという、その議論こそ中心にすべき話だった。左翼も、リベラルも、フェミニストも、その点でまったく批判力を失っているのではないだろうかと思えてならない。
・ブルジョワとプロレタリアの対立。階級闘争。そんな古色蒼然としたイデオロギーが退潮したあとに、こんなふわっとした「差別に寛容な」社会ができたことへの感慨。
・「目を合わせる」というのは一対一の関係でしか起こり得ないよな。
虐待受けた子ども、愛情に関する遺伝子に変化 脳の容積低下で「目を合わせられない」可能性 福井大学の研究センター(福井新聞ONLINE) - Yahoo!ニュース
“虐待などの避けるべき子育て「マルトリートメント」(マルトリ)を受けた子どもは、愛情や信頼の形成に関わるホルモン「オキシトシン」の設計図となる遺伝子の一部に後天的な変化「DNAメチル化」が多く生じているという研究成果を発表した。”
“この脳の部位は、他者の視線認知と自身の眼球運動との連携に関わっているとされ、容積の低下により人と目を合わせられないなどの影響が出る可能性がある。”
・コロナ禍のマスクの影響を想起させた。
幼少期の嗅覚刺激が行動に影響「におい刷り込み」解明 福井大研究グループ | 医療 | 福井のニュース | 福井新聞ONLINE
“「刷り込み」は幼少期に外界から受ける嗅覚や触覚、聴覚などの刺激によって脳内の神経回路が変化し、生涯にわたって影響を及ぼす現象。アヒルの後追い行動やサケの母川回帰に代表される。”
“生後1週間までに脳内のタンパク質「セマフォリン7」「プレキシンC1」が結合し、においに関する神経回路が増強。この時期に鼻をふさいでいたマウスは、本来興味を示すべき仲間のにおいを避け、自閉症と同様の行動を取るようになることを確認した。”
・夜、千葉ANGAにユイさんのイベントを見に行く。楽しむ。
11月20日(土)
・ひとりぼっちの戦争。
・“そのナルシシズムをしまいなさいよ”
・ち、超自我が。
・そんなことより、やらなければいけないし、実際にいかなきゃなんない。「傷つける」「傷つけられる」関係の、切り結びの反公共の福祉性。
・いま何日だ? そうか、20日。11月20日。すこし落ち着こう。そうかそうか。やってるんだなあ。あいつもこいつも。……なにやってるんだろう。だんだん我慢できなくなる。
・「裏を返す」という言葉を学んだ。裏を返す。二回三回いく。いいですか、“一回”じゃないんだ。“二回、三回”なんだ。さあこれは偉大だよ。どんだけって……。裏を返すってのは、おなじ場所に二回三回いくってことなんだ。そんで「馴染み」になるんだってさ。ほんと、そうやって、やってるんですよみなさん。いいかな? いいんだと思うよ。やってるからねえ。“君は”“やってない”かもしれないけどね。
・“遅れ”とか、考えてる必要もなくて。それより、“戦争”がやってきてるんだから武装しないと。早く、銃を用意しないとねえ。……くっそ。指きれたわ。ああくっそ。
・それで何度目だ? 何度目なんだよ、“捕まる”のは。捕まることを覚悟で、やるんだろ? “捕まらないのにやろうとするなんてことは、ありえない”からなあ。もちろん、捕まってもいい覚悟で、きたんだろ? そうじゃないなら、いますぐ帰ったほうがいいよなあ。
・地下室にいると。その半身浴のような。
・雪がふってきたので、その雪を手にもって、雪合戦の要領で、君に投げた。雪は、君に当たる前にばらばらにほどけて、地に散った。それは、ただ君がいることの、一種の、インスタレーションにすぎなかった。この、雪には、顔がある。その、微妙な、苦しそうな顔には見覚えがあるが、すぐ新しい雪が積もってしまうので、顔もじき消える。消える、ということは、見えなくなる、ということだ。見えなくなった顔は、記憶の一角に位置し、ややあって移動し、やがてその部屋からも出ていく。
・何度となく繰り返されてきた歴史が、また装いだけ新たにしてくだらない〈劇〉をつくるもんだから、もう飽きてるのにこっちは飽きてるのにもっかい何度でも見ちゃうのが、ね。そう見るやつがいるもんだから何度でも何度でも繰り返して、それで飽きないの。ほうらね。ほら。ほらみんな見てるでしょー。おもしろーい。ああらあら。すごいのねえ。あんなに熱中して顔赤くしているよ。うふふ。愉快だわー!
・君に〈わかってもらえなくても〉いい。ただ核兵器が、この〝地球を裏っ返すような〟爆発力が、消滅力が、なんかの役に立つならば、ワンチャンあるならば、俺もそこに連れてってくれよー、、、って思うのだ。お願いします。ほんと願います。“核兵器”は、二度と無辜の民に、用いないと、誓いますのですが、それでも、その威力によって、どんな被害が出るかはコントロールできません。すべては机上の予想でしかなく、予想を確かめるには実際に落としてみるしかありません。そうして……
・“スイッチを押す軽さと現実の被害の莫大さの天文学的なギャップ”が生まれた。僕たちはこの事実を批判しなければならない。落とした人間は……。「名指すこと」と倫理と。取り扱い注意の、その札をめくって奥にはいる。
・“そのナルシシズムをしまいなさいよ”
・ち、超自我が。
・そんなことより、やらなければいけないし、実際にいかなきゃなんない。「傷つける」「傷つけられる」関係の、切り結びの反公共の福祉性。
・いま何日だ? そうか、20日。11月20日。すこし落ち着こう。そうかそうか。やってるんだなあ。あいつもこいつも。……なにやってるんだろう。だんだん我慢できなくなる。
・「裏を返す」という言葉を学んだ。裏を返す。二回三回いく。いいですか、“一回”じゃないんだ。“二回、三回”なんだ。さあこれは偉大だよ。どんだけって……。裏を返すってのは、おなじ場所に二回三回いくってことなんだ。そんで「馴染み」になるんだってさ。ほんと、そうやって、やってるんですよみなさん。いいかな? いいんだと思うよ。やってるからねえ。“君は”“やってない”かもしれないけどね。
・“遅れ”とか、考えてる必要もなくて。それより、“戦争”がやってきてるんだから武装しないと。早く、銃を用意しないとねえ。……くっそ。指きれたわ。ああくっそ。
・それで何度目だ? 何度目なんだよ、“捕まる”のは。捕まることを覚悟で、やるんだろ? “捕まらないのにやろうとするなんてことは、ありえない”からなあ。もちろん、捕まってもいい覚悟で、きたんだろ? そうじゃないなら、いますぐ帰ったほうがいいよなあ。
・地下室にいると。その半身浴のような。
・雪がふってきたので、その雪を手にもって、雪合戦の要領で、君に投げた。雪は、君に当たる前にばらばらにほどけて、地に散った。それは、ただ君がいることの、一種の、インスタレーションにすぎなかった。この、雪には、顔がある。その、微妙な、苦しそうな顔には見覚えがあるが、すぐ新しい雪が積もってしまうので、顔もじき消える。消える、ということは、見えなくなる、ということだ。見えなくなった顔は、記憶の一角に位置し、ややあって移動し、やがてその部屋からも出ていく。
・何度となく繰り返されてきた歴史が、また装いだけ新たにしてくだらない〈劇〉をつくるもんだから、もう飽きてるのにこっちは飽きてるのにもっかい何度でも見ちゃうのが、ね。そう見るやつがいるもんだから何度でも何度でも繰り返して、それで飽きないの。ほうらね。ほら。ほらみんな見てるでしょー。おもしろーい。ああらあら。すごいのねえ。あんなに熱中して顔赤くしているよ。うふふ。愉快だわー!
・君に〈わかってもらえなくても〉いい。ただ核兵器が、この〝地球を裏っ返すような〟爆発力が、消滅力が、なんかの役に立つならば、ワンチャンあるならば、俺もそこに連れてってくれよー、、、って思うのだ。お願いします。ほんと願います。“核兵器”は、二度と無辜の民に、用いないと、誓いますのですが、それでも、その威力によって、どんな被害が出るかはコントロールできません。すべては机上の予想でしかなく、予想を確かめるには実際に落としてみるしかありません。そうして……
・“スイッチを押す軽さと現実の被害の莫大さの天文学的なギャップ”が生まれた。僕たちはこの事実を批判しなければならない。落とした人間は……。「名指すこと」と倫理と。取り扱い注意の、その札をめくって奥にはいる。
11月19日(金)
・どんな偉大な人物でも「ともに暮らす」ことを考えたら、ちょっとやだな。キリストでも、ソクラテスでも。ううむ。ハンナ・アーレントの本をめくっていたらそんな記述があった。
・「右の頬をぶたれたら左の頬もさしだせ」いや、無理です。ないでしょう、それは。そんなん耐えられないよ。まず、右の頬をぶつことに反対だ。キリストと一緒に暮らしたら一時が万事この調子か? ソクラテスだったら延々議論でしょう。きつそうだ。
・「温泉むすめ」の件でツイッターが紛糾している。
・男性性の問題については考えていかざるをえない。象徴的に思い浮かべる。慰安所の列に並ぶか否か? この問いを浮かべて、「並ばない」という方向に、向いているのかどうかを絶えずチェックする内面性を、常に忘れないように自己に突き付けよという超自我の規範。
・男性の自己嫌悪と「父」殺しと。それから母体回帰願望と「少女」憧憬と。そのあたりの危険なテーマ。
・自分の体を呪っている。男性の身体性を嫌っている。自分の体が「汚い」と思っている。ケガレがある。ケガレを射出している。そのような自分は、他者からも、呪われて当然ではないのか? 自分で自分を呪うようになり、他者からの呪いも受け入れ、さらに自己呪詛に“ひたる”ようになり、そこから先、現実世界から離脱する潜勢力を得る。サヨウナラコノセカイ。反転して、例の異世界にいく一味と、そうではない一派に分かれるだろう。
・有責性と反論できなさと暴発と慰撫と。陰茎の切断というモチーフ。ずっとずっと、「加害者だ」といわれることの悲しさ。
・ハラスメントと愛の境界線。「教育」という分野とそれへの発想の希薄さ。
・以下の記事が参考として考えるに値した。
アメリカの大学でなぜ「ポリコレ」が重視されるようになったか、その「世代」的な理由(ベンジャミン・クリッツァー) | 現代ビジネス | 講談社(1/7)
・「右の頬をぶたれたら左の頬もさしだせ」いや、無理です。ないでしょう、それは。そんなん耐えられないよ。まず、右の頬をぶつことに反対だ。キリストと一緒に暮らしたら一時が万事この調子か? ソクラテスだったら延々議論でしょう。きつそうだ。
・「温泉むすめ」の件でツイッターが紛糾している。
・男性性の問題については考えていかざるをえない。象徴的に思い浮かべる。慰安所の列に並ぶか否か? この問いを浮かべて、「並ばない」という方向に、向いているのかどうかを絶えずチェックする内面性を、常に忘れないように自己に突き付けよという超自我の規範。
・男性の自己嫌悪と「父」殺しと。それから母体回帰願望と「少女」憧憬と。そのあたりの危険なテーマ。
・自分の体を呪っている。男性の身体性を嫌っている。自分の体が「汚い」と思っている。ケガレがある。ケガレを射出している。そのような自分は、他者からも、呪われて当然ではないのか? 自分で自分を呪うようになり、他者からの呪いも受け入れ、さらに自己呪詛に“ひたる”ようになり、そこから先、現実世界から離脱する潜勢力を得る。サヨウナラコノセカイ。反転して、例の異世界にいく一味と、そうではない一派に分かれるだろう。
・有責性と反論できなさと暴発と慰撫と。陰茎の切断というモチーフ。ずっとずっと、「加害者だ」といわれることの悲しさ。
・ハラスメントと愛の境界線。「教育」という分野とそれへの発想の希薄さ。
・以下の記事が参考として考えるに値した。
アメリカの大学でなぜ「ポリコレ」が重視されるようになったか、その「世代」的な理由(ベンジャミン・クリッツァー) | 現代ビジネス | 講談社(1/7)
11月18日(木)
・にわかに男性性の問題が立ち上がる。自分も男性当事者だし、周辺で起きた件を聞き、考えさせられるものもあった。あきらかに、いままで正面から語ってこなかった話がある。森岡正博の『感じない男』を読む。このあたりの話は、女性はひくかもしれないと常に思う。男性と女性は、いつからか深く断絶してしまうようになった。その印象はSNS(主にツイッター)によってできた限定的なものに過ぎないかもしれないが、しかしとにかく内面化された規範や感覚はある(と言うと、「それは身勝手な男性目線で、女性はずっと昔から断絶させられてきたんだ」と返されるだろうが)。ツイッターでたびたび起こるフェミニズム周りの論争もそれなりに追うようになった。目線をどこに置くかでまるで変わる。被害/加害は立場が入れ替われば変わる。考えはじめると迷路を感じる。出口がない。「出口がない」ということの自己耽溺性が気にかかる。いつもそうなってしまう。他者が遠のく。これも「安全に痛い自己反省パフォーマンス」だろうか? たぶん「安全に痛い」よりもっと危うい領域に向かいうる。
・「屈折」や「敗北」の手ざわりが、ずっと遠くにいってしまった、そんな時代を感じて。
・昨日の日記に書いた「てらまっと」さんのブログ記事はゼロ年代オタク批評の話ですが、とてもよくわかる。別の回路から同じことを感じて生きてきた。じゃあこれをどうするか? 別の発想、別の接続、抜け道がある。その方法をこの数年学んできた。それはまだ充分に実装されていないが、自己言及の罠に陥らない方法はあることは知れた。それを信じたい。強くそれは思う。そして、男性の連帯は切実な課題である。なにか僕がひっかかっている違和感は(それは僕個人の問題もあるが)、集団としての、個としての男性がそこにいたときに、女性(性)と疎外状態に入ってしまうこと。そのとき疎外しているのは女性(性)ではない。男性の男性性である。したがって、まず自己治療の過程を経なければ男女の問題、というより、広く「人間の問題」が解決方向にむかうことはない。いまは、あまりに「被害者性の時代」だ。反転して、過剰な「加害性批判の時代」でもある。
・加害/被害の問題にフォーカスしすぎることそれ自体が罠である。「逆ハーレムでよかったね」と“含みなく”言えるぐらいがちょうどいいのかもしれない。ほんとうは。いやそんな発言はハラスメントである。こびりついた余剰や老廃物があくせく邪魔をする。もっと深くドライブしていかなければならない。こんなところでやられてたんじゃたまらない。
・もう一つある。やはりもう一つある。世代の問題だ。この「屈折」を理解しうるかしえないか。(若い世代にとっては)おそらく鬱陶しいだろうこれらの想念は、経済(ないしプラットフォーム、およびシステム)の構成に左右されてある。自分、あるいは自分「たち」に固有の、痛みの感覚を。このあとにつづく言葉はない。つまりシェアできない。そうやって「簒奪された」と言えるなら話は単純だが、そんな物語も持てていないのだから、本当に“言葉はない”のだ。
言葉を「つくる」ことからはじめないといけない。
・「屈折」や「敗北」の手ざわりが、ずっと遠くにいってしまった、そんな時代を感じて。
・昨日の日記に書いた「てらまっと」さんのブログ記事はゼロ年代オタク批評の話ですが、とてもよくわかる。別の回路から同じことを感じて生きてきた。じゃあこれをどうするか? 別の発想、別の接続、抜け道がある。その方法をこの数年学んできた。それはまだ充分に実装されていないが、自己言及の罠に陥らない方法はあることは知れた。それを信じたい。強くそれは思う。そして、男性の連帯は切実な課題である。なにか僕がひっかかっている違和感は(それは僕個人の問題もあるが)、集団としての、個としての男性がそこにいたときに、女性(性)と疎外状態に入ってしまうこと。そのとき疎外しているのは女性(性)ではない。男性の男性性である。したがって、まず自己治療の過程を経なければ男女の問題、というより、広く「人間の問題」が解決方向にむかうことはない。いまは、あまりに「被害者性の時代」だ。反転して、過剰な「加害性批判の時代」でもある。
・加害/被害の問題にフォーカスしすぎることそれ自体が罠である。「逆ハーレムでよかったね」と“含みなく”言えるぐらいがちょうどいいのかもしれない。ほんとうは。いやそんな発言はハラスメントである。こびりついた余剰や老廃物があくせく邪魔をする。もっと深くドライブしていかなければならない。こんなところでやられてたんじゃたまらない。
・もう一つある。やはりもう一つある。世代の問題だ。この「屈折」を理解しうるかしえないか。(若い世代にとっては)おそらく鬱陶しいだろうこれらの想念は、経済(ないしプラットフォーム、およびシステム)の構成に左右されてある。自分、あるいは自分「たち」に固有の、痛みの感覚を。このあとにつづく言葉はない。つまりシェアできない。そうやって「簒奪された」と言えるなら話は単純だが、そんな物語も持てていないのだから、本当に“言葉はない”のだ。
言葉を「つくる」ことからはじめないといけない。
11月17日(水)
・前日の余韻。ライブの次の日は、いつもよくわからない。
・ツイッターで見たブログ記事読む。
敗北を抱きしめて:ゼロ年代批評と「青春ヘラ」「負けヒロイン」についての覚え書き - てらまっとのアニメ批評ブログ
・ツイッターで見たブログ記事読む。
敗北を抱きしめて:ゼロ年代批評と「青春ヘラ」「負けヒロイン」についての覚え書き - てらまっとのアニメ批評ブログ
11月16日(火)
・ライブでした。新松戸FIREBIRDにて「まゆこらぼ vol.11」。ピアニスト大久保真由さんと出演者がコラボしていくわけです。軽くリハやって本番。金子TKOさん。いつも叙情を感じます。青春感というか、疾走感。大久保さんのシンセ、オーケストラみたいだな。赤坂零式さん。太い演奏で王道の対幻想を。ぐいぐいと歌がはいってくる。URAOCBさん。即興の詩。めっちゃスリリングな二人のセッション。日本語の言文一致というんでしょうか、ポピュラーミュージックの文体以前の、邦楽における言葉の文体と通ずるものがある気がした。もう満腹。はりやさん。いつもどおり“じゃない”スタイル。まさかのノイズ。アグレッシブだなあ。最後はNo Woman, No Cry。平日医長さん。実はお初の対バン。攻めた空気から和む。iPadによる二湖の演奏が。iPadのガレバン、すごいな。そのつぎ俺。新曲を書いてきていて緊張。大久保さん以外全員男なのでそのことから自嘲。全部笑いです。新曲のテーマはいわゆる「男性性」も含む。コラボはブルースで。大久保さんのプレイの「その先」を俺のギターが邪魔したろうか。とにかく楽しくできたのでよかった。最後、geruさん。こないだ見たときもそうだけど、トリ感。「おっぱい」の曲でステージ上に巨大なおっぱいを思い浮かべる。「geruさんは女性的な感じがある」と終演後に話した。最後に見たのは母性だったのだろうか。
・終演後、「最初のモチーフがあって、そこから展開し破壊へと進んで、また最初のモチーフに戻ってくる。そのとき安心と感動がある」という金子さんの話がおもしろかった。URAOCBさんのライブに関して。故郷というものは大事だ。人間、故郷に帰りがち。そう、それが正しい。故郷は忘れられないのだ。この「故郷」にはいろいろなものが入る。じつはコロナ禍で感じていたのもそれだった。「僕たちの故郷ってどこよ?」「うんにゃあ、わからんちくなっちまっただす」「えーそれじゃ困るよお。でもしょうがねえべ」それじゃあまた探すわ、じゃ困るんだ。それこそ。
・終演後、「最初のモチーフがあって、そこから展開し破壊へと進んで、また最初のモチーフに戻ってくる。そのとき安心と感動がある」という金子さんの話がおもしろかった。URAOCBさんのライブに関して。故郷というものは大事だ。人間、故郷に帰りがち。そう、それが正しい。故郷は忘れられないのだ。この「故郷」にはいろいろなものが入る。じつはコロナ禍で感じていたのもそれだった。「僕たちの故郷ってどこよ?」「うんにゃあ、わからんちくなっちまっただす」「えーそれじゃ困るよお。でもしょうがねえべ」それじゃあまた探すわ、じゃ困るんだ。それこそ。
11月15日(月)
・大学のことを考える。いや、俺は大学の関係者じゃないし大学も出てないけど、いまの「オンライン」化された大学の是非については考えるのだ。ね、だって新入生はコロナ禍で全然対面の体験ができてないところで、ハイブリッドで「対面かオンラインか選択できるように」したってほとんどがオンラインを選ぶっていうからさー、みたいなところ。
・未来の選択肢や可能性というのは思わぬところから決定する。
・「自分がどうやって育ってきたか」を忘れるのはまずい。大学でもライブハウスでも、自分のアイデンティティを喪失してしまうのがまずいと思うのだ。そうなってる感がある気がする。自分はどうだ? 「何がやりたかったかわからなくなる」そういう瞬間や時期のこと。そのつらさ痛さ。
・友人と会う。三人で新松戸を散策。いろいろな話をする。思わぬトラブルの話を聞く。考えさせられるところあり。誘ってくれた友人に感謝。
・未来の選択肢や可能性というのは思わぬところから決定する。
・「自分がどうやって育ってきたか」を忘れるのはまずい。大学でもライブハウスでも、自分のアイデンティティを喪失してしまうのがまずいと思うのだ。そうなってる感がある気がする。自分はどうだ? 「何がやりたかったかわからなくなる」そういう瞬間や時期のこと。そのつらさ痛さ。
・友人と会う。三人で新松戸を散策。いろいろな話をする。思わぬトラブルの話を聞く。考えさせられるところあり。誘ってくれた友人に感謝。
11月14日(日)
・プリミティブな土地での素振り。山とカエルは手をふり返すか。
・映画『ジョーカー』。歴史修正的な、記憶をどう評価するかの問い。被害と加害の複雑さへの耐性、感覚の持ちこたえ。その前提。
・「その前提」のひとつは「教育」と呼ばれるべき領域で培われる。昨今の教育機関の実演パフォーマンス。失望。責任の所在、そのボール回しコンテスト。
・歌う。身体的。無理。「理」は理性で。いままで生きてきた様々な体験は、時間は、偶然の条件によって支えられている。その条件の恣意的変更。理念、アイデンティティの消失、不問化。「その条件が違えば、いまいる自分は“この自分”じゃなかった」ということ。可能性への感覚。メタ可能性、とでもいうような。
・『ジョーカー』に戻れば、復讐とは、根拠を求めたときに去来するものだといえる。「感謝」という言葉がある。復讐が感謝に変わる瞬間はありうるだろうか? 主人公アーサーは、自分の出自を母から隠されて育ち、その真実が判明した後「復讐のコース」をつかむ。しかしその真実が「最初から判明していたら」、アーサーの人生は異なったコースを歩んでいただろう。彼は「そっちの方がよかった」と思うから、いままでの母子関係は「まったくの虚偽」だったと思うから、母を手にかけた。
・この映画では描かれない「残像」があるとするなら、その像を描いてみるとするなら。いくつもの分岐があり、いくつものA'がある。そしてAの裏にも無数の像がある。描かれない像がある。それは、映画にかぎらない、現実にいる無数の「ジョーカー」に対しても、いえることのはずだ。
・「はじめから全てがオンライン」の世代と、「飲み会を断るいい口実だからこのままオンラインがいい」といっている大人の世代はまったく別の体験を基にしているのだということ。
・そのことに無感覚でいくなら、やがて「特権」といわれるようになっていく。この不連続性を無視して平気かどうかが問われるべき第一のことがらであり、事務処理がどうとかは二義的な話にすぎない。
・なぜ「第一義的な話」に向き合えないか、その体質と「病」。「治療」の道。
・じゃあ俺どうすんのか? 透徹した考えが足りなかった。それがないと戦えない。土台がない。いくら積み上げても土台が間違っていたら台無しだ。透徹した「問い」が必要だ。それは再生産できるか? それは波及効果をおよぼすか?
・人間の歴史みたいなものとどれだけ合致できるだろう。季節のめぐり。春夏秋冬。自然との関係。「歴史」というときの、ローカルの位置。無名の歴史。
・やがて階級的な壁とぶつかってきて、「象徴としての排除」がまともに流布するようになる。日本国家の象徴。ヒエラルキー意識。「排除」はしかし、「連帯」を生む。さきほど書いた「病」とは、その「連帯」が生じない有様も指す。
・映画『ジョーカー』。歴史修正的な、記憶をどう評価するかの問い。被害と加害の複雑さへの耐性、感覚の持ちこたえ。その前提。
・「その前提」のひとつは「教育」と呼ばれるべき領域で培われる。昨今の教育機関の実演パフォーマンス。失望。責任の所在、そのボール回しコンテスト。
・歌う。身体的。無理。「理」は理性で。いままで生きてきた様々な体験は、時間は、偶然の条件によって支えられている。その条件の恣意的変更。理念、アイデンティティの消失、不問化。「その条件が違えば、いまいる自分は“この自分”じゃなかった」ということ。可能性への感覚。メタ可能性、とでもいうような。
・『ジョーカー』に戻れば、復讐とは、根拠を求めたときに去来するものだといえる。「感謝」という言葉がある。復讐が感謝に変わる瞬間はありうるだろうか? 主人公アーサーは、自分の出自を母から隠されて育ち、その真実が判明した後「復讐のコース」をつかむ。しかしその真実が「最初から判明していたら」、アーサーの人生は異なったコースを歩んでいただろう。彼は「そっちの方がよかった」と思うから、いままでの母子関係は「まったくの虚偽」だったと思うから、母を手にかけた。
・この映画では描かれない「残像」があるとするなら、その像を描いてみるとするなら。いくつもの分岐があり、いくつものA'がある。そしてAの裏にも無数の像がある。描かれない像がある。それは、映画にかぎらない、現実にいる無数の「ジョーカー」に対しても、いえることのはずだ。
・「はじめから全てがオンライン」の世代と、「飲み会を断るいい口実だからこのままオンラインがいい」といっている大人の世代はまったく別の体験を基にしているのだということ。
・そのことに無感覚でいくなら、やがて「特権」といわれるようになっていく。この不連続性を無視して平気かどうかが問われるべき第一のことがらであり、事務処理がどうとかは二義的な話にすぎない。
・なぜ「第一義的な話」に向き合えないか、その体質と「病」。「治療」の道。
・じゃあ俺どうすんのか? 透徹した考えが足りなかった。それがないと戦えない。土台がない。いくら積み上げても土台が間違っていたら台無しだ。透徹した「問い」が必要だ。それは再生産できるか? それは波及効果をおよぼすか?
・人間の歴史みたいなものとどれだけ合致できるだろう。季節のめぐり。春夏秋冬。自然との関係。「歴史」というときの、ローカルの位置。無名の歴史。
・やがて階級的な壁とぶつかってきて、「象徴としての排除」がまともに流布するようになる。日本国家の象徴。ヒエラルキー意識。「排除」はしかし、「連帯」を生む。さきほど書いた「病」とは、その「連帯」が生じない有様も指す。
11月13日(土)
・なんとなく、浮遊している。歌詞をまとめていく。穴から掘ったものの整理。
11月12日(金)
・コンビニ。夜。もう猫は寒くて、車の下にもぐりこむ。
・地下の身体。地下の目線。地上の心理への異化。地上が、ちがって見える。そうなればそりゃよさそうだけど、そんなにうまいこといかないのが常。頭上方向と根っこ方向があり、またその二方向のストレッチがあり、ただふわふわ浮遊しているだけよりはよさそうだけど、浮遊する自由さも喪失している気がしてしまうのだ。これは、定着させなければならぬ、ということだろうとも思う。
・身体と思考が二重で、重ね合わせてある。そうして、人の来歴の過去というのは地下に眠られてある。それを掘り起こしてさらすことは価値のほじくり返しにあたるだろうか。有意味性。でも機能だけが突端してもてはやされるのは堕落に等しいだろう。
・瀬戸内寂聴さんの「徹子の部屋」の映像を少しみる。「倫理」の変化。不倫でいえば、「不」への反応の変化として。
・いや、価値というのは交換してあるんだろうと思った。人の意志で。つまり僕は僕の意志で勝手に交換している。領域をまたがって交換する。転換、といったほうがいいかもしれない。一方を減じて一方を増す。それを忘れないように、そこからさらに考えるように。
・地下の身体。地下の目線。地上の心理への異化。地上が、ちがって見える。そうなればそりゃよさそうだけど、そんなにうまいこといかないのが常。頭上方向と根っこ方向があり、またその二方向のストレッチがあり、ただふわふわ浮遊しているだけよりはよさそうだけど、浮遊する自由さも喪失している気がしてしまうのだ。これは、定着させなければならぬ、ということだろうとも思う。
・身体と思考が二重で、重ね合わせてある。そうして、人の来歴の過去というのは地下に眠られてある。それを掘り起こしてさらすことは価値のほじくり返しにあたるだろうか。有意味性。でも機能だけが突端してもてはやされるのは堕落に等しいだろう。
・瀬戸内寂聴さんの「徹子の部屋」の映像を少しみる。「倫理」の変化。不倫でいえば、「不」への反応の変化として。
・いや、価値というのは交換してあるんだろうと思った。人の意志で。つまり僕は僕の意志で勝手に交換している。領域をまたがって交換する。転換、といったほうがいいかもしれない。一方を減じて一方を増す。それを忘れないように、そこからさらに考えるように。
11月11日(木)
・この日は小さいノートをつくることに没頭したのである。
・マントル方向への計画。
・マントル方向への計画。
11月10日(水)
・時間は自然だし、自然は歴史だな。
・オンラインでいくと、それはそうなるよねという思考。
・素振り就寝。
・オンラインでいくと、それはそうなるよねという思考。
・素振り就寝。
11月9日(火)
・たまに薄ぼんやりと東の空が紫に照らされているんですよね。あれはなんだろう。
・深夜、素振り。
・深夜、素振り。
11月8日(月)
・諸用の帰り、ぶらっと千葉公園へ赴き、駐車場を出ると護国神社を発見。あらこんなところに。入ってみる。特攻隊の銅像。天皇ご参拝の記念碑。境内を囲むように設置された、膨大な名札の列。こういうものがずっと、何十年経ってもここにこうして並べられている、その記録としての価値。
・日本は被害者であると強調すれば右になり、日本は加害者であると強調すれば左に振られるような気がする。そうしたものの、ぬるぬるした不可解さ。
・神社を出てそのすぐ隣の草地に、何か大きな慰霊塔が設置されてあった。その草地を縦に何度も往復する、男性がいた。敷地の奥には、竹刀を何度も振り下ろす男性がいた。おそらくその人にとっては日課になっている、休日の運動なのだろう。慰霊塔は大きかった。こんなに大きなものを建設するメンタリティーが、あったんだなということを思った。「不要不急」という言葉を思った。今はこれは建てられない気がした。敷地には、他にもいくつかの慰霊碑が設置されてあった。すべてゲートが閉められていて中に入れない。人間は入れないが、猫が入っていた。猫と目があった。透き通った、達観したような目をしていた。「お前はなにしにきたの? 特段用がないなら帰れよ」と猫に言われたが、猫に言われたことに従う道理もないので「単なる見学です。もう少し見させてもらうわ」と返した。「日中」の戦死者に向けて置かれた慰霊碑もある。武漢とのつながりがあったことも知る。
・雨。
・その後、夜からは千葉ANGAのバー営業にお邪魔した。談笑。
・日本は被害者であると強調すれば右になり、日本は加害者であると強調すれば左に振られるような気がする。そうしたものの、ぬるぬるした不可解さ。
・神社を出てそのすぐ隣の草地に、何か大きな慰霊塔が設置されてあった。その草地を縦に何度も往復する、男性がいた。敷地の奥には、竹刀を何度も振り下ろす男性がいた。おそらくその人にとっては日課になっている、休日の運動なのだろう。慰霊塔は大きかった。こんなに大きなものを建設するメンタリティーが、あったんだなということを思った。「不要不急」という言葉を思った。今はこれは建てられない気がした。敷地には、他にもいくつかの慰霊碑が設置されてあった。すべてゲートが閉められていて中に入れない。人間は入れないが、猫が入っていた。猫と目があった。透き通った、達観したような目をしていた。「お前はなにしにきたの? 特段用がないなら帰れよ」と猫に言われたが、猫に言われたことに従う道理もないので「単なる見学です。もう少し見させてもらうわ」と返した。「日中」の戦死者に向けて置かれた慰霊碑もある。武漢とのつながりがあったことも知る。
・雨。
・その後、夜からは千葉ANGAのバー営業にお邪魔した。談笑。
11月7日(日)
・一昨日のライブで購入した古木のCD、これの曲名がわからない。困る。SNSを検索してようやく突き止めた。俺は探偵だった。
・一昨日のライブで音響は新人ヒダカさんだった。先輩にあたる狩野くんがサポートする。狩野くんもかつては同じ立場だった。彼は音響経験がなかったところから現場で仕事を覚えた。そういうのを見ていて時間の循環、人の教える〜学ぶ関係のかわりばんこを思う。その変化のなかに「時間」を感じ、その時間のなかに個人の成長がはいっている。
・一昨日のライブはFIREBIRDブッキングの津田新嵐くんからの誘いで出た。精算の時間にいろいろ話す。人にはいろんな個性がある。向いてること、好きなことがある。一方「場所」には枠組みがある。その枠組みのなかで考えるよりは、自分の自由な思考や行動を活かすことを考えたほうがいいんだろうと思う。その自由な発想が、いままでその枠組みにはなかったものだったりすると、ときに反発を招くこともある。それはそれで根拠があることだから、その根拠は理解したほうがいいとして、おもしろいことというのはそうした摩擦を抜けた先にしかないようにも思う。自分自身、オープンマインドでありたいなと思いつつ、なかなか自分に抵抗を与えてしまったりするが。人生そういうものかもしれない。
・一昨日のライブで音響は新人ヒダカさんだった。先輩にあたる狩野くんがサポートする。狩野くんもかつては同じ立場だった。彼は音響経験がなかったところから現場で仕事を覚えた。そういうのを見ていて時間の循環、人の教える〜学ぶ関係のかわりばんこを思う。その変化のなかに「時間」を感じ、その時間のなかに個人の成長がはいっている。
・一昨日のライブはFIREBIRDブッキングの津田新嵐くんからの誘いで出た。精算の時間にいろいろ話す。人にはいろんな個性がある。向いてること、好きなことがある。一方「場所」には枠組みがある。その枠組みのなかで考えるよりは、自分の自由な思考や行動を活かすことを考えたほうがいいんだろうと思う。その自由な発想が、いままでその枠組みにはなかったものだったりすると、ときに反発を招くこともある。それはそれで根拠があることだから、その根拠は理解したほうがいいとして、おもしろいことというのはそうした摩擦を抜けた先にしかないようにも思う。自分自身、オープンマインドでありたいなと思いつつ、なかなか自分に抵抗を与えてしまったりするが。人生そういうものかもしれない。
11月6日(土)
・ホームページをリニューアルした。とにかく、地味に、質素な感じになったと思う。
こんな感じでいいのだ。元来、「ホームページ」とはこういうものである。
・昨日は新松戸FIREBIRDでライブ。杏仁豆腐とおしるこ太郎のリリースツアー。楽しかったです。ライブはいいもんだなと思える。他人がいて、他人と他人が歌っていて、それを他人が聞いているからである。
古木と久しぶり。すっかり洗練された音を出してた。ちゃっかり感。HANAKOさんの歌も良かった。センス感。カジハラさんは相変わらず渋かった。ドクロ。くまねさんはパワフルだった。赤い。杏仁豆腐とおしるこ太郎はやっぱり独特。つまりそれは攻めてるってことだ。どういうことを考えて曲を作ったり自分たちの表現を煮詰めてるんだろう。そんなことが気になる。
ひとりひとりと、もっと話したい気分だった。
私自身は、楽しくできたということでよしとしましょう。皆さんも楽しくやっていると良い。
そのようである。
・最近はいろいろあった。やっと方向が見えてきたような天気。しかしそれは錯覚で、古い錯覚にべつの新たな錯覚が置きかわっただけかもしれない。天気はうつろう。そういうもんで、そんならそれでいい。
と、今日のところはあんまり突っ込んだことを書く気力が残ってない。というわけで寝ます。
こんな感じでいいのだ。元来、「ホームページ」とはこういうものである。
・昨日は新松戸FIREBIRDでライブ。杏仁豆腐とおしるこ太郎のリリースツアー。楽しかったです。ライブはいいもんだなと思える。他人がいて、他人と他人が歌っていて、それを他人が聞いているからである。
古木と久しぶり。すっかり洗練された音を出してた。ちゃっかり感。HANAKOさんの歌も良かった。センス感。カジハラさんは相変わらず渋かった。ドクロ。くまねさんはパワフルだった。赤い。杏仁豆腐とおしるこ太郎はやっぱり独特。つまりそれは攻めてるってことだ。どういうことを考えて曲を作ったり自分たちの表現を煮詰めてるんだろう。そんなことが気になる。
ひとりひとりと、もっと話したい気分だった。
私自身は、楽しくできたということでよしとしましょう。皆さんも楽しくやっていると良い。
そのようである。
・最近はいろいろあった。やっと方向が見えてきたような天気。しかしそれは錯覚で、古い錯覚にべつの新たな錯覚が置きかわっただけかもしれない。天気はうつろう。そういうもんで、そんならそれでいい。
と、今日のところはあんまり突っ込んだことを書く気力が残ってない。というわけで寝ます。