2022年 2022年 1月~2月 2021年 12月 11月
4月23日(土)
・久々にこの日記を書く。日々考えてることはあれど、なんとなくここに向かわなかった。
・毎日「戦争」について考えさせられている。
・……「正しいこと」の立場に立とうとする。みんなそうで、僕もそうで。まずその力動を相対化する。
・SNSを見て、いくつか議論があって、「価値相対主義」が批判されたり、今回のロシアとウクライナの戦争に関して、なかなか「言えること」の語り口も限定されてきた/させられてきたように感じたり。それは、良いのか悪いのかで言えば、僕は良いと思っていないけど。でもなんか、そうなっていくんですよね。戦争の時代の人々の、その言葉の変質、空気感を見ている。
・戦争……と語りだし、それを語るほど、戦争に巻き込まれていく、あるいは没入していく側面もある。気をつけないといけない。
・〝気をつけないといけない〟なんて、おあつらえ向きのこと言ってても、なんの威力もこもってないのだけど。
■
・キーボードで活字を打っていても、上滑りしていっているだけのような気もする。手書きのほうがまだまとも……に思える。その感覚も「戦争」と関連していて、現実に対して、どう触れるか、どう向き合うか、どう考えるか……みたいなしゃっちょこばった態度をひけらかすために、その口実として現実を利用するのだ……と、自己嫌悪のポーズをとってみせるぐらいしか振る舞い方のボキャブラリーがなかったことに、気付かされるのだ。
・いま、この戦争が、核戦争に発展しないことを祈りたい。
・祈ってもしかたないが、勇ましくなってもしかたないが、じゃあ寄り添ってもしかたないが、なにをどうしてもしかたないのだった。
・待て! お前なんて呼んでないんだよ。わかるもんか! こっちにくるな。うるせえ!
・ソンタグの本をめくったら「悲惨な光景を見てはじめてのごとく驚いてみせる人は、道徳的に欠陥がある」と書いていた。は! 「お前の驚きは、欠陥なんだよ!」と言いたい心性が僕にある、としたらそれは僕の欠陥だろうか。
▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽
・北方領土の記述の更新、国会議員たちの靖国参拝。賛成の気持ちわかず。
・核戦争へのエスカレートは。プーチンはロシア国内の世論支持喪失を恐れている。西側の制裁ではなく。ロシア国営放送で「ニューヨークに核を落としたら」云々で笑いが起きたという動画を見た。ロシア国内世論が核戦争を望むようになれば、実際にそうなりかねない。プーチンは西側からの情報統制はできる。しかしその後の国内世論の暴走はコントロールできない。
・こうした現状を……どう「見る」か。ゼレンスキーと一体化するような西側の団結は、ロシアを暴走させかねない。もしくは、こっちもこっちで暴走のリスクを抱える。
・毎日こうしたことを考えていて、「考えてもしょうがねえじゃねえか」と言う輩がいる。しょうがねえけどな! たしかに、しょうがねえよ。でもしょうがなくても、しょうがないまんまいくしかねえんさ! 「平和」とか「反戦」というものが、にわかに難しいものだという現実を受け止めきれていない。「戦争反対!」と叫ぶほどに戦争を煽ってしまう逆説すらありうるのだ。
■
・さて「正しいこと」「間違わないこと」に自分の立場を置こうとしたら、それを第一優先にするとしたら、なにも言わないのが一番いいって話になりますぜ。へへ……厄介ことには口をつぐむもんだ。ツイートしたってしかたないよ。“SNS評価経済の承認競争”に巻き込まれるだけだってんだね! そういうことは、わかっております。わかっておるが、じゃあどうしますかねえ?
・戦争の中にも平和がある。平和の中にも戦争がある。戦争は世界の現実だが、同時に一部でしかない。「それでデタッチメントだってんだね」「いや、なにかにコミットメントするってことは、別のそれ以外の現実へのデタッチメントなんだからね。」態度保留。戦後秩序を、礼儀正しく守りましょう。
・アナウンサーが泣いたってね。それに対して、「いいじゃん。人間なんだから」って賛辞が寄せられていて。そんなら、泣くのは、物語にふさわしい登場人物の振る舞いだってんだね。「そう」なったら、「その次」は、悲惨な光景にかこつけて感情を表現する振る舞いは、公的に、オッケーなもんだってことになるんだいね。戦場と、戦争を傍観する者とのその距離は、いと遠く離れているんだなと合点がいったよ。〝そうだよ、ほんならお前も同じだな!〟〝やっつっけちまえよ、おとっつあん!〟……「勇ましい者」と「臆病者」は、どこかで等価なものかしらん。
・毎日「戦争」について考えさせられている。
・……「正しいこと」の立場に立とうとする。みんなそうで、僕もそうで。まずその力動を相対化する。
・SNSを見て、いくつか議論があって、「価値相対主義」が批判されたり、今回のロシアとウクライナの戦争に関して、なかなか「言えること」の語り口も限定されてきた/させられてきたように感じたり。それは、良いのか悪いのかで言えば、僕は良いと思っていないけど。でもなんか、そうなっていくんですよね。戦争の時代の人々の、その言葉の変質、空気感を見ている。
・戦争……と語りだし、それを語るほど、戦争に巻き込まれていく、あるいは没入していく側面もある。気をつけないといけない。
・〝気をつけないといけない〟なんて、おあつらえ向きのこと言ってても、なんの威力もこもってないのだけど。
■
・キーボードで活字を打っていても、上滑りしていっているだけのような気もする。手書きのほうがまだまとも……に思える。その感覚も「戦争」と関連していて、現実に対して、どう触れるか、どう向き合うか、どう考えるか……みたいなしゃっちょこばった態度をひけらかすために、その口実として現実を利用するのだ……と、自己嫌悪のポーズをとってみせるぐらいしか振る舞い方のボキャブラリーがなかったことに、気付かされるのだ。
・いま、この戦争が、核戦争に発展しないことを祈りたい。
・祈ってもしかたないが、勇ましくなってもしかたないが、じゃあ寄り添ってもしかたないが、なにをどうしてもしかたないのだった。
・待て! お前なんて呼んでないんだよ。わかるもんか! こっちにくるな。うるせえ!
・ソンタグの本をめくったら「悲惨な光景を見てはじめてのごとく驚いてみせる人は、道徳的に欠陥がある」と書いていた。は! 「お前の驚きは、欠陥なんだよ!」と言いたい心性が僕にある、としたらそれは僕の欠陥だろうか。
▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽
・北方領土の記述の更新、国会議員たちの靖国参拝。賛成の気持ちわかず。
・核戦争へのエスカレートは。プーチンはロシア国内の世論支持喪失を恐れている。西側の制裁ではなく。ロシア国営放送で「ニューヨークに核を落としたら」云々で笑いが起きたという動画を見た。ロシア国内世論が核戦争を望むようになれば、実際にそうなりかねない。プーチンは西側からの情報統制はできる。しかしその後の国内世論の暴走はコントロールできない。
・こうした現状を……どう「見る」か。ゼレンスキーと一体化するような西側の団結は、ロシアを暴走させかねない。もしくは、こっちもこっちで暴走のリスクを抱える。
・毎日こうしたことを考えていて、「考えてもしょうがねえじゃねえか」と言う輩がいる。しょうがねえけどな! たしかに、しょうがねえよ。でもしょうがなくても、しょうがないまんまいくしかねえんさ! 「平和」とか「反戦」というものが、にわかに難しいものだという現実を受け止めきれていない。「戦争反対!」と叫ぶほどに戦争を煽ってしまう逆説すらありうるのだ。
■
・さて「正しいこと」「間違わないこと」に自分の立場を置こうとしたら、それを第一優先にするとしたら、なにも言わないのが一番いいって話になりますぜ。へへ……厄介ことには口をつぐむもんだ。ツイートしたってしかたないよ。“SNS評価経済の承認競争”に巻き込まれるだけだってんだね! そういうことは、わかっております。わかっておるが、じゃあどうしますかねえ?
・戦争の中にも平和がある。平和の中にも戦争がある。戦争は世界の現実だが、同時に一部でしかない。「それでデタッチメントだってんだね」「いや、なにかにコミットメントするってことは、別のそれ以外の現実へのデタッチメントなんだからね。」態度保留。戦後秩序を、礼儀正しく守りましょう。
・アナウンサーが泣いたってね。それに対して、「いいじゃん。人間なんだから」って賛辞が寄せられていて。そんなら、泣くのは、物語にふさわしい登場人物の振る舞いだってんだね。「そう」なったら、「その次」は、悲惨な光景にかこつけて感情を表現する振る舞いは、公的に、オッケーなもんだってことになるんだいね。戦場と、戦争を傍観する者とのその距離は、いと遠く離れているんだなと合点がいったよ。〝そうだよ、ほんならお前も同じだな!〟〝やっつっけちまえよ、おとっつあん!〟……「勇ましい者」と「臆病者」は、どこかで等価なものかしらん。
4月2日(土)
『マリオ☆キングダム 千葉編』を終えて
・千葉ANGAにて『マリオ☆キングダム 千葉編』でした。昨年に亡くなった千葉ANGAの元PA岩田豊さんを偲びながら、往年のメンツで楽しくやろうぜ、という趣旨の日。そのとおり楽しく、かつ想いのこもった日になりました……!
終演後のお酒&語らいタイムはほんとに昔を思い出すようで、至福のときでした。来てくれたお客さん、出てくれたバンド、ミュージシャンに感謝です!
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
①沼田謙二朗 僕です。トップバッターでイベントの空気をつくりたいと思い、がんばった。
②草むらロマン 安定の草むらワールドにプラスして、ウェンズデイの曲をやってくれた。
③Holy Garden いつ見てもアツい疾走感。子どもたちが見守っててあったかい気持ちに。
④島“MINMIN”寛海 バケツを叩いてツボる気持ちいいサウンド&グルーヴ。あっという間の10分間。
⑤THE KING OG’S 懐かしい名曲「ペンギン」。久しぶりのOG’Sやっぱりかっこよかった。
⑥大森剣作(the audio pool) 沁みる歌とMCと、ティアーズ・イン・ヘブン!よかったです。
⑦遠藤龍太 千葉の名産ピーナッツ……まさか聞けるとは。うれしかった。
⑧パキラ 唯一の両国組。出てくれてよかった。スリーピースパキラ、よいステージでした。
⑨みなしご シメはみなしご。最後にステージに呼んでくれて、わーい!となった。ありがとうございました。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
イベントを組んでくれた店長ナオミさん、一日を切り盛りしてくれたANGAスタッフたちにも本当に感謝!
終演後のお酒&語らいタイムはほんとに昔を思い出すようで、至福のときでした。来てくれたお客さん、出てくれたバンド、ミュージシャンに感謝です!
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①沼田謙二朗 僕です。トップバッターでイベントの空気をつくりたいと思い、がんばった。
②草むらロマン 安定の草むらワールドにプラスして、ウェンズデイの曲をやってくれた。
③Holy Garden いつ見てもアツい疾走感。子どもたちが見守っててあったかい気持ちに。
④島“MINMIN”寛海 バケツを叩いてツボる気持ちいいサウンド&グルーヴ。あっという間の10分間。
⑤THE KING OG’S 懐かしい名曲「ペンギン」。久しぶりのOG’Sやっぱりかっこよかった。
⑥大森剣作(the audio pool) 沁みる歌とMCと、ティアーズ・イン・ヘブン!よかったです。
⑦遠藤龍太 千葉の名産ピーナッツ……まさか聞けるとは。うれしかった。
⑧パキラ 唯一の両国組。出てくれてよかった。スリーピースパキラ、よいステージでした。
⑨みなしご シメはみなしご。最後にステージに呼んでくれて、わーい!となった。ありがとうございました。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
イベントを組んでくれた店長ナオミさん、一日を切り盛りしてくれたANGAスタッフたちにも本当に感謝!
■今回の経緯
・豊さんとの出会いは約19年前、旧ANGAの移転イベントでした。その日、僕ははじめてバンド「瘋癲野朗」でライブしたのですが、その時のPAが豊さん。僕は赤いES335を弾き、FenderのアンプDeVilleを生意気にも持ち込んでいたのですが、終わった後「335いい音してたよ」と、言われてうれしかったことをすごく覚えています。
その後、豊さんがANGAを辞め、四谷や両国で働きだし、最期に僕が会ったのはもう10年以上前になります。豊さんは、いつ会っても「笑顔でしゃべってくれる人」でした。最期になったライブは、あんまり上手くギターが弾けませんでした。沼田、頼むよお……それから僕もソロで活動するようになり、豊さんに会う機会はないまま、昨年、突然の訃報を聞きました。
ソロになってからの自分の音楽で、またPAをやってほしかったけど、「いつか機会があるだろう」と漠然と思っているうちに、豊さんは亡くなってしまいました。
・お葬式に出席した後、あらためて、千葉で関わりのあった人が集まり、故人を偲ぶイベントがあったほうがいいんじゃないか、と思うようになりました。コロナ禍で、人の死に向きあうことが、様々な意味で難しくなった気がしていました。
ANGAのナオミさんと話をするうちに、呼ぶメンバーも決まっていき、かたちができました。タイトルの由来は、豊さんの愛称だった「マリオ」と、お葬式で祭壇にずらっと飾られていた漫画「キングダム」からです。
結局ほとんどの出演メンバーを呼んでくれたのはナオミさん。千葉だけでなく、両国で豊さんと縁があったパキラも出てくれたのは本当によかったです。豊さんが千葉で働いていたのはだいぶ前で、それで「千葉編」とつけたのですが、豊さんのやってきたことを通じて縁がつながった、そのことが純粋にうれしかったです。
・当日は久しぶりに顔を合わせた人との近況報告や、昔話にも花が咲き、15年前に戻ったような楽しさでした。このコロナ禍で「文化を守ろう」という声や動きもありましたが、なかなか集まること自体が難しくなってしまった中、「人と人」がふれあい、つながることの意味や、その大事さをあらためて感じました。
いろいろなことがあるし、あれこれ難しいことも考えてしまうけれど、好きな人たちと、好きな場所で、好きなことをして、遊ぶように楽しむことができれば、ただそれだけでいいんだなと、イベントが終わって実感しました。だから、そこに、昔みたいに、豊さんもいてほしかったんだなあと。
・ 「言い出しっぺ」としてもっとがんばれたよな……という反省も諸々ありますが、みんなの力で自然と温かい日になりました。やれてよかったです。
ライブハウスで出会った豊さん、音でつながった縁が、今後もつづいて広がっていく。自分を育ててくれた文化を守ることに、わずかでも貢献できたら幸いです。
マリオ☆キングダム、またできるようにがんばります。
当日いてくださったみなさん、そして豊さん、どうもありがとうございました!
その後、豊さんがANGAを辞め、四谷や両国で働きだし、最期に僕が会ったのはもう10年以上前になります。豊さんは、いつ会っても「笑顔でしゃべってくれる人」でした。最期になったライブは、あんまり上手くギターが弾けませんでした。沼田、頼むよお……それから僕もソロで活動するようになり、豊さんに会う機会はないまま、昨年、突然の訃報を聞きました。
ソロになってからの自分の音楽で、またPAをやってほしかったけど、「いつか機会があるだろう」と漠然と思っているうちに、豊さんは亡くなってしまいました。
・お葬式に出席した後、あらためて、千葉で関わりのあった人が集まり、故人を偲ぶイベントがあったほうがいいんじゃないか、と思うようになりました。コロナ禍で、人の死に向きあうことが、様々な意味で難しくなった気がしていました。
ANGAのナオミさんと話をするうちに、呼ぶメンバーも決まっていき、かたちができました。タイトルの由来は、豊さんの愛称だった「マリオ」と、お葬式で祭壇にずらっと飾られていた漫画「キングダム」からです。
結局ほとんどの出演メンバーを呼んでくれたのはナオミさん。千葉だけでなく、両国で豊さんと縁があったパキラも出てくれたのは本当によかったです。豊さんが千葉で働いていたのはだいぶ前で、それで「千葉編」とつけたのですが、豊さんのやってきたことを通じて縁がつながった、そのことが純粋にうれしかったです。
・当日は久しぶりに顔を合わせた人との近況報告や、昔話にも花が咲き、15年前に戻ったような楽しさでした。このコロナ禍で「文化を守ろう」という声や動きもありましたが、なかなか集まること自体が難しくなってしまった中、「人と人」がふれあい、つながることの意味や、その大事さをあらためて感じました。
いろいろなことがあるし、あれこれ難しいことも考えてしまうけれど、好きな人たちと、好きな場所で、好きなことをして、遊ぶように楽しむことができれば、ただそれだけでいいんだなと、イベントが終わって実感しました。だから、そこに、昔みたいに、豊さんもいてほしかったんだなあと。
・ 「言い出しっぺ」としてもっとがんばれたよな……という反省も諸々ありますが、みんなの力で自然と温かい日になりました。やれてよかったです。
ライブハウスで出会った豊さん、音でつながった縁が、今後もつづいて広がっていく。自分を育ててくれた文化を守ることに、わずかでも貢献できたら幸いです。
マリオ☆キングダム、またできるようにがんばります。
当日いてくださったみなさん、そして豊さん、どうもありがとうございました!
3月17日(木)
・日記。一度書いて書き直す。踏ん切りをつける。書きたいことを書く。リズムを身につける。いいか? いいか? 言葉をうっちゃる。
・地震が起こって、もう連絡がとれなくなった人のことを考える。つながりが途絶えて。「大丈夫か?」の声もなく。なにもなく。コミュニケーションなく。そう、そう、そうなんよ。そうなんよね。そうだったよね。くそう。
停電する——ああ、こっちのほうは大丈夫だったよ。だいじょうぶだいじょうぶだいじょうぶ。そっちこそ大丈夫? そもそも大丈夫って大丈夫? ああ、ああ、あああ、あああああ。そうかいそうかい。なんだかとってもいいみたい……ああ、そうかい。
■
((見ていたものを見つづけて、森の中に入る。森の中には泉がある。たくさんの「しがない連中」が泉にむらがる。そのなかを出し抜いてずる込みしようとする奴が、俺だった。俺は、ずる込みしようとした。ずる込みはだいたい気持ちいい。他のやつを出し抜くのは気持ちいい。それだから、俺は泉の底から現れた、泉の精に対して無警戒だった。精霊は無垢なものであり、すべての嫉妬から解放され、俺たちが憧れる結節点を示してくれると思い込んだ。だがちがった。そこにあるのは空っぽな幻想だった。空っぽな幻想は脳内を満たさない。俺は自分がどんな幻想を追い求め焦がれているのか、やっと理解できた。つまりこれではなかった。泉の精はその姿で水面にあるものを隠す。密輸入されたすべての貝殻が水底に眠っている。俺は予感にうちひしがれた。すぐに歩いて出ていかなきゃいけないと悟った。しかしさっきずる込みして出し抜いた連中が俺の前に立ちはだかる。連中はもういっさい俺の味方をしない。かつて仲間だった連中は、いまでは俺に対して敵意をひからせ、すきあらば首元を刃物で引き裂こうと画策する奴らになった。俺は逃げる。逃げて生きなければいけない。俺にはまだすることがある。そう信じた。根拠はなく、いつでも俺にあるのは直感だけだった。その直感だけを頼りにしてここまで来たのだった。その歩みに後悔はない。ただもう少し奥までいけるはずだという未然感がつねにあった。俺は連中を再度出し抜いて森をぬける。哀れな連中に同情はしない。森の精がいる泉はやがて干からびて、水底の貝殻は地面にもぐり化石化するだろう。精霊は優雅に空を駆けていくだろうか。それは俺とはちがう種族の物語だ。空っぽの幻想は惹きつけた人におあつらえ向きのムービーを見せて、しかる後にやわらかい絶望のタオルで彼らをつつんで虚無にかえす。俺は森を抜けてかつてあった存在を証明する作業にとりかかる。今度こそ未然を埋めるために全力をつくす。さて化石を掘りおこすのは考古学者の仕事だが、未来のために地図をつくるのは現在生きる者の隠れた仕事だ。未然を埋める体内の会話は、細胞をふくんで内蔵にまで到達する波動をうながす。自分の魂をつかむのは、精霊の仕事でもなく、神の仕事でもなく、ましてやアルゴリズムやAIの仕事でもなく、自分みずからの仕事である。))
■ ■
・内なる〇〇がかまびすしい。内なる〇〇は、未来のテロリストを養成すると意気込んでいるのだが、今日ゲリラ戦が到来する情勢を確認すると、一気にひきこもって連絡もよこさなくなる。たぶんびびって逃げ帰ったんだろう。かつて俺たちの国も他国に言語を強制した。内なる〇〇はそのときも、トモダチガ フエルコトハ イイコトダ などと言って自己肯定していた。「そんなんだから異性にモテないんだ」と俺がからかうと、ゲンジツニ フクシュウ スルンダ と暗い真顔で答えてた。
おっかないよなあ。内なる〇〇は、現在じゃなくて未来に生きてるんだ。現在は負けているが、未来に反転攻勢し、かならずや勝利を招来させるとかたく信じている。なんでそんなにひねくれちゃったかわかんないけど、きっと受苦した不幸はなんらかのかたちで報われるんだよと、適当に励ましてやりすごしてた。
■ ■ ■
・もちろん、現実は美談じゃなくすぐさま醜い矛盾をさらすので(しかもそれは「醜い」とも自覚されず、単なるシステムエラーとしてやり過ごされる運命にある)、不遇をかこつ人民からはすこぶる悪い評判がやってくる。それでも、だいたいみんな華麗にスルーするよね。
・地震が起こって「あいつどうしてるかな」って思った。そんな想像。その想像それ自体、いっしゅんですんでしまう性質のもの。それでも連想の過程であいつのことを思い出して、こうして書き留めるくらいにはイメージをふくらました。
……届いてほしい。魂が荒れているのがわかる。でもほんとうはやさしくありたかった。なんでいつも挫折してしまうのだろう? 荒れている魂を目の前にしてもてあました。俺は、自分を過大評価していたので、手を差し伸べれば自分の手のひらでおおえるサイズのものは救えると思い込んだ。けれどちがった。手のひらからむしろ逃げるようなそれは、俺の想定の埒外で、つまり俺の意思を拒絶して、それにとって安楽な地方の方向をむいていた。
俺にできることはなにもない。いや、あるんだ、きっと……と思い込むことが、無責任であり、かえって先方の負担になるのだと悟ったとき、俺はかるく吐き気をもよおし、自分の偽善に失望した。それは正しい失望だった。「やらない善よりやる偽善」とたいした葛藤もなく自明の前提として免罪符を発行する連中の列にくわわり、わけのわからない署名入り懸賞キャンペーンに賛同し下品な広告をまきちらす一連のパターンから遠くない位置に俺はいた。「やる偽善」は人間不信を拡大しただけだった。おい、お前のことだぞ、わかってるか?
✄ - - - - - - - - - -✄ - - - - - - - - - -
・もっと自問自答し、葛藤を経なければ、内面化されないエレメントとその全体がある。現状はあまりにも分節されているので、誰も全体を見渡せないことはおろか、「全体」という発想すら形骸化して忘却されている。それじゃあ、いけないっしょ。もっと正面から、きちっと取り組むべきっしょ。「きちっと」はまあできないんだが、自分なりにがんばってみますよと答える。こんなあからさまな時代状況のなかで、不要不急の想像力でもって対抗するという所業は、ほぼ効果ゼロだがそこにしか人間らしさが勝つ契機はないのだ。敵はだれかといえば、敵は隣人である。もっといえば己の中である。敵とは自分である。そして味方になるのも自分だ。さすれば隣人を敵にするか味方にするかは自分の精神態度ひとつである。もし相手から敵認定を受けたとしても、こちらの認定を左右する決定権はこちらにあることを譲らない。自分の中に敵もいれば味方もいるように、相手の中にも敵もいれば味方もいる。相手全部がまるごと敵であるのではなく、状況的現象的にそれは敵としての役割を演じてそこにある。あるいは自分の状態が「いま敵としてやってくる」相手を招来する。敵、と思える相手にこそ、味方を検索しリンクをたどらなければならない。ハイパーリンクの果てに弁証法の材料が見つかれば、敵と見なした相手のしたにある素顔が見えてくるだろう。
・地震が起こって、もう連絡がとれなくなった人のことを考える。つながりが途絶えて。「大丈夫か?」の声もなく。なにもなく。コミュニケーションなく。そう、そう、そうなんよ。そうなんよね。そうだったよね。くそう。
停電する——ああ、こっちのほうは大丈夫だったよ。だいじょうぶだいじょうぶだいじょうぶ。そっちこそ大丈夫? そもそも大丈夫って大丈夫? ああ、ああ、あああ、あああああ。そうかいそうかい。なんだかとってもいいみたい……ああ、そうかい。
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((見ていたものを見つづけて、森の中に入る。森の中には泉がある。たくさんの「しがない連中」が泉にむらがる。そのなかを出し抜いてずる込みしようとする奴が、俺だった。俺は、ずる込みしようとした。ずる込みはだいたい気持ちいい。他のやつを出し抜くのは気持ちいい。それだから、俺は泉の底から現れた、泉の精に対して無警戒だった。精霊は無垢なものであり、すべての嫉妬から解放され、俺たちが憧れる結節点を示してくれると思い込んだ。だがちがった。そこにあるのは空っぽな幻想だった。空っぽな幻想は脳内を満たさない。俺は自分がどんな幻想を追い求め焦がれているのか、やっと理解できた。つまりこれではなかった。泉の精はその姿で水面にあるものを隠す。密輸入されたすべての貝殻が水底に眠っている。俺は予感にうちひしがれた。すぐに歩いて出ていかなきゃいけないと悟った。しかしさっきずる込みして出し抜いた連中が俺の前に立ちはだかる。連中はもういっさい俺の味方をしない。かつて仲間だった連中は、いまでは俺に対して敵意をひからせ、すきあらば首元を刃物で引き裂こうと画策する奴らになった。俺は逃げる。逃げて生きなければいけない。俺にはまだすることがある。そう信じた。根拠はなく、いつでも俺にあるのは直感だけだった。その直感だけを頼りにしてここまで来たのだった。その歩みに後悔はない。ただもう少し奥までいけるはずだという未然感がつねにあった。俺は連中を再度出し抜いて森をぬける。哀れな連中に同情はしない。森の精がいる泉はやがて干からびて、水底の貝殻は地面にもぐり化石化するだろう。精霊は優雅に空を駆けていくだろうか。それは俺とはちがう種族の物語だ。空っぽの幻想は惹きつけた人におあつらえ向きのムービーを見せて、しかる後にやわらかい絶望のタオルで彼らをつつんで虚無にかえす。俺は森を抜けてかつてあった存在を証明する作業にとりかかる。今度こそ未然を埋めるために全力をつくす。さて化石を掘りおこすのは考古学者の仕事だが、未来のために地図をつくるのは現在生きる者の隠れた仕事だ。未然を埋める体内の会話は、細胞をふくんで内蔵にまで到達する波動をうながす。自分の魂をつかむのは、精霊の仕事でもなく、神の仕事でもなく、ましてやアルゴリズムやAIの仕事でもなく、自分みずからの仕事である。))
■ ■
・内なる〇〇がかまびすしい。内なる〇〇は、未来のテロリストを養成すると意気込んでいるのだが、今日ゲリラ戦が到来する情勢を確認すると、一気にひきこもって連絡もよこさなくなる。たぶんびびって逃げ帰ったんだろう。かつて俺たちの国も他国に言語を強制した。内なる〇〇はそのときも、トモダチガ フエルコトハ イイコトダ などと言って自己肯定していた。「そんなんだから異性にモテないんだ」と俺がからかうと、ゲンジツニ フクシュウ スルンダ と暗い真顔で答えてた。
おっかないよなあ。内なる〇〇は、現在じゃなくて未来に生きてるんだ。現在は負けているが、未来に反転攻勢し、かならずや勝利を招来させるとかたく信じている。なんでそんなにひねくれちゃったかわかんないけど、きっと受苦した不幸はなんらかのかたちで報われるんだよと、適当に励ましてやりすごしてた。
■ ■ ■
・もちろん、現実は美談じゃなくすぐさま醜い矛盾をさらすので(しかもそれは「醜い」とも自覚されず、単なるシステムエラーとしてやり過ごされる運命にある)、不遇をかこつ人民からはすこぶる悪い評判がやってくる。それでも、だいたいみんな華麗にスルーするよね。
・地震が起こって「あいつどうしてるかな」って思った。そんな想像。その想像それ自体、いっしゅんですんでしまう性質のもの。それでも連想の過程であいつのことを思い出して、こうして書き留めるくらいにはイメージをふくらました。
……届いてほしい。魂が荒れているのがわかる。でもほんとうはやさしくありたかった。なんでいつも挫折してしまうのだろう? 荒れている魂を目の前にしてもてあました。俺は、自分を過大評価していたので、手を差し伸べれば自分の手のひらでおおえるサイズのものは救えると思い込んだ。けれどちがった。手のひらからむしろ逃げるようなそれは、俺の想定の埒外で、つまり俺の意思を拒絶して、それにとって安楽な地方の方向をむいていた。
俺にできることはなにもない。いや、あるんだ、きっと……と思い込むことが、無責任であり、かえって先方の負担になるのだと悟ったとき、俺はかるく吐き気をもよおし、自分の偽善に失望した。それは正しい失望だった。「やらない善よりやる偽善」とたいした葛藤もなく自明の前提として免罪符を発行する連中の列にくわわり、わけのわからない署名入り懸賞キャンペーンに賛同し下品な広告をまきちらす一連のパターンから遠くない位置に俺はいた。「やる偽善」は人間不信を拡大しただけだった。おい、お前のことだぞ、わかってるか?
✄ - - - - - - - - - -✄ - - - - - - - - - -
・もっと自問自答し、葛藤を経なければ、内面化されないエレメントとその全体がある。現状はあまりにも分節されているので、誰も全体を見渡せないことはおろか、「全体」という発想すら形骸化して忘却されている。それじゃあ、いけないっしょ。もっと正面から、きちっと取り組むべきっしょ。「きちっと」はまあできないんだが、自分なりにがんばってみますよと答える。こんなあからさまな時代状況のなかで、不要不急の想像力でもって対抗するという所業は、ほぼ効果ゼロだがそこにしか人間らしさが勝つ契機はないのだ。敵はだれかといえば、敵は隣人である。もっといえば己の中である。敵とは自分である。そして味方になるのも自分だ。さすれば隣人を敵にするか味方にするかは自分の精神態度ひとつである。もし相手から敵認定を受けたとしても、こちらの認定を左右する決定権はこちらにあることを譲らない。自分の中に敵もいれば味方もいるように、相手の中にも敵もいれば味方もいる。相手全部がまるごと敵であるのではなく、状況的現象的にそれは敵としての役割を演じてそこにある。あるいは自分の状態が「いま敵としてやってくる」相手を招来する。敵、と思える相手にこそ、味方を検索しリンクをたどらなければならない。ハイパーリンクの果てに弁証法の材料が見つかれば、敵と見なした相手のしたにある素顔が見えてくるだろう。
3月6日(日)
・なんだか世界情勢のことばかり考えているようになってしまった。どうしても。こんなやつはこの界隈じゃ珍しいんだよ。やめてほしいと思うね。うっとうしいからな。どっかいってほしいよまったく。辛気臭い顔して、盛り場にくるなってんだよ。この個人サイトは、そんな自分のしょーもない秘部をさらけだす、ノーリスクの場ってわけかい。そんなら勝手にしろってんだ。へんだい。しるかよ。やってろ。俺には関係ねえからよ。
・音楽ってのは役に立つってのは、あんだ、歌うことで救われるってんだね。どういうときに? ふさぎこんだときにゃ有効だよ。自分の率直な思いを歌詞にすんのさ。んだんだ。どういうこと? むつかしいねえ。おいら、語彙がねえからよお。難しい言葉はいらないんだ。かえってごちゃごちゃしちまうからね。シンプルがいちばんいいのさ。ほらごらん。君の声は、自然と調和している。あの空と、星と、木々のさわめきと。ふすふす、ふすふす。すてきだねえ。そうか、すてきか。すてきだ、って思えたら、そのとき救われてるよ。そんな瞬間、そう瞬間の技芸だね。音楽って、なくならないもんだな。
・正しさの内空間は、わっかんないんだよねえ。俺は、共感したいよ。おりゃあ危険だねえ。「共感する」先ってのは、限定されてるからね。まちがっても「あんな野郎」に共感しちゃいけないよ。え、でも、無限定な対象でなけりゃあ、「共感」の理念のほうがくじけてしまうのでは? まあそういいなさんな。いいんだよ現実主義だよお。おまえ、実際に人が傷つけられてるときに共感とかきれいごといって悦に浸ってんじゃねえよ! あ、ごめんなさい……そんなつもりじゃ。
・音楽ってのは役に立つってのは、あんだ、歌うことで救われるってんだね。どういうときに? ふさぎこんだときにゃ有効だよ。自分の率直な思いを歌詞にすんのさ。んだんだ。どういうこと? むつかしいねえ。おいら、語彙がねえからよお。難しい言葉はいらないんだ。かえってごちゃごちゃしちまうからね。シンプルがいちばんいいのさ。ほらごらん。君の声は、自然と調和している。あの空と、星と、木々のさわめきと。ふすふす、ふすふす。すてきだねえ。そうか、すてきか。すてきだ、って思えたら、そのとき救われてるよ。そんな瞬間、そう瞬間の技芸だね。音楽って、なくならないもんだな。
・正しさの内空間は、わっかんないんだよねえ。俺は、共感したいよ。おりゃあ危険だねえ。「共感する」先ってのは、限定されてるからね。まちがっても「あんな野郎」に共感しちゃいけないよ。え、でも、無限定な対象でなけりゃあ、「共感」の理念のほうがくじけてしまうのでは? まあそういいなさんな。いいんだよ現実主義だよお。おまえ、実際に人が傷つけられてるときに共感とかきれいごといって悦に浸ってんじゃねえよ! あ、ごめんなさい……そんなつもりじゃ。
エビ問答
A おいおい、経済制裁は「必要悪」とかBは言ってたようだけどよお、これでプーチン追い詰められるならアリじゃんかよ。
B ああ、そうかもな。でもどうなるかわからんが……。こういうとき、安っぽい善悪観は通用しないのだな。
しかしそれはロシア国民を追い詰めることで彼らの反旗を期待することでもある。なんだか、その他力本願さが危うい気がするんだな……。
A おまえはどうなってほしいの?
B もちろん、戦争が止まってほしい。
A 戦争を止めるには、手段が必要だ。その手段のひとつが経済制裁。経済的な報復であり、もしこれをやらないとしたら、ロシアは戦争継続の兵站を確保しやすくなってしまうだろう。戦争をやめざるをえない状況を作り出さないといけない。ロシア国民も、生活が立ちゆかなくなったらプーチン政権への反発も強まるだろう。その流れを後押しし、内部からロシアの体制を瓦解させる。
B その合理性が、怖いというか、見落としがないか? ロシア国民の不幸は勘定に入れないでいいのか。その考え方は独善的じゃないか。うらみつらみは残るだろう。そのことの倫理的妥当性が検討されていないように見える。僕にはそれが疑問だ。
A そんな高尚なこといってる場合じゃないんだよ。現にいま、ウクライナ人が殺されている。事態は待ってくれない。いますぐに行動しないといけない。経済制裁は必須だ。いまのロシアを野放しにはできないだろう。
B それはそうかもしれない。僕にはそのあたりのことはよくわからないんだ。けれど、さっき言ったようなことが問われないことに不満がある。ロシア人は、たとえこれでプーチン政権を否定したとしても、「西側」に対して感謝はしないだろう。むしろ恨みは残るだろう。そのことは、長い時間を経て次の厄介なもめ事をひきこむかもしれない。いいかえれば、そのときの口実になるようなものをつくらないほうがいい。「ロシア人」とひとくくりにして無差別に扱うことも、本当はありえないほど乱暴なことだ。僕は現代社会のこの不確かさ、限界を自覚したい。
A ……いや難しいこと言ってるけどさ、戦争はだめだよ。罪のない人を殺すこと、土地を奪うことは、あってはならない悪の行為だよ。
A おいおい、経済制裁は「必要悪」とかBは言ってたようだけどよお、これでプーチン追い詰められるならアリじゃんかよ。
B ああ、そうかもな。でもどうなるかわからんが……。こういうとき、安っぽい善悪観は通用しないのだな。
しかしそれはロシア国民を追い詰めることで彼らの反旗を期待することでもある。なんだか、その他力本願さが危うい気がするんだな……。
A おまえはどうなってほしいの?
B もちろん、戦争が止まってほしい。
A 戦争を止めるには、手段が必要だ。その手段のひとつが経済制裁。経済的な報復であり、もしこれをやらないとしたら、ロシアは戦争継続の兵站を確保しやすくなってしまうだろう。戦争をやめざるをえない状況を作り出さないといけない。ロシア国民も、生活が立ちゆかなくなったらプーチン政権への反発も強まるだろう。その流れを後押しし、内部からロシアの体制を瓦解させる。
B その合理性が、怖いというか、見落としがないか? ロシア国民の不幸は勘定に入れないでいいのか。その考え方は独善的じゃないか。うらみつらみは残るだろう。そのことの倫理的妥当性が検討されていないように見える。僕にはそれが疑問だ。
A そんな高尚なこといってる場合じゃないんだよ。現にいま、ウクライナ人が殺されている。事態は待ってくれない。いますぐに行動しないといけない。経済制裁は必須だ。いまのロシアを野放しにはできないだろう。
B それはそうかもしれない。僕にはそのあたりのことはよくわからないんだ。けれど、さっき言ったようなことが問われないことに不満がある。ロシア人は、たとえこれでプーチン政権を否定したとしても、「西側」に対して感謝はしないだろう。むしろ恨みは残るだろう。そのことは、長い時間を経て次の厄介なもめ事をひきこむかもしれない。いいかえれば、そのときの口実になるようなものをつくらないほうがいい。「ロシア人」とひとくくりにして無差別に扱うことも、本当はありえないほど乱暴なことだ。僕は現代社会のこの不確かさ、限界を自覚したい。
A ……いや難しいこと言ってるけどさ、戦争はだめだよ。罪のない人を殺すこと、土地を奪うことは、あってはならない悪の行為だよ。
3月4日(金)
・不要不急、とは言われたくなかった。いや、実際は、「言われても言い返す」あるいは「内容で証明する」ことがなければいけなかった。
・いま、自分がすべきことはなんだろう、とあらためて点検する。自分の中の無意識に潜む(あるいは“同時代の人々”の無意識に潜む)固有の観念を裏っ返しにして、いまそれが“見える”ことが重要なんじゃないか。
・詩人の直観が活きる領域はあって、それを信じられなければ直立することもできないような。
・混乱は混乱のまま、直截に言えることと言えないことのそのあいだで、表現するということのそれそのものの意味。
■
・情況の中で、情報があって、それらはアップデートされて、動いて、その都度感想や考察はあれど、書きたい/書くべきことはもっとメタレベルのことだったりする。
・他者について書くより、自己について書く。自己の中の他者性。他者に“通ずる”には、自己を他者として遇さなければならない。まずは。
■
・世界の情況が熾烈になって、いろんな意味で「くらう」。しかし気合をいれなおすぞ。
・いま、自分がすべきことはなんだろう、とあらためて点検する。自分の中の無意識に潜む(あるいは“同時代の人々”の無意識に潜む)固有の観念を裏っ返しにして、いまそれが“見える”ことが重要なんじゃないか。
・詩人の直観が活きる領域はあって、それを信じられなければ直立することもできないような。
・混乱は混乱のまま、直截に言えることと言えないことのそのあいだで、表現するということのそれそのものの意味。
■
・情況の中で、情報があって、それらはアップデートされて、動いて、その都度感想や考察はあれど、書きたい/書くべきことはもっとメタレベルのことだったりする。
・他者について書くより、自己について書く。自己の中の他者性。他者に“通ずる”には、自己を他者として遇さなければならない。まずは。
■
・世界の情況が熾烈になって、いろんな意味で「くらう」。しかし気合をいれなおすぞ。
・稲毛K'sDreamでPAをしていた「ガワラさん」が亡くなった。ツイッターで昨日知った。最期に会ったのはkoshigaya ASYLUM2019かもしれない。弁当を食べる時間もなく(それは運営の落ち度なのだが)、それでも黙々と仕事をしていた姿が印象にある。実感が湧かない。ぶっきらぼうに見えていたが、不思議なやさしさのある人だった。たまに言葉をかわしたときに、そのギャップが伝わった。
ケーズでライブをやるときはよくお世話になった。セットリストを決める際、冗談ながらに「おでん長いよ」と言われて、笑った記憶がある。
ガワラさん、またケーズでライブをやるときは、どこかで音を聞いててくれたらいいなあと思う。合掌。