御礼
ワンマントークライブショー「沼田謙二朗VS千葉」無事終わりました。
ご覧いただいたみなさま、どうもありがとうございました。
「パワポで写真を見せながらしゃべってライブする」という不慣れかつ初体験な企画をして、
けっきょく休憩もいれられず、至らない点も多々ありました。
が、やってよかったです。
自分のなかだけでもんもんと考えてきたことを、
みんなと共有できることの、ちょっとした救いのようなものを感じました。
みなさんのおかげです。
これからも、もっと広く深く、枠を超えて、やるべきことを追求していきます。
■
下記リンクに当日の資料をアップしました。
クリックするとPDFファイルが見れます。
ダウンロードも可能です。
どうぞご自由にご覧ください。
以下雑記。
けっきょく、なんだったのか
■
今年の年始にとっちらかった抱負の文章を書きました。
そこに「現実に没入すること」「現実をつくる」を今年の抱負としてあげていました。
今回のイベントのフライヤーには、様々な土地を旅して「現実なんて、ねえ!」とわかった、と書きました。
このイベントは、その意味で、「なかった(と感じた)現実への道をつくる第一歩」のようなものでした。
まず、自分が見て感じたこと、考えたことをしゃべって伝える。
写真を見せて、自分が見たものを共有する。
そんなところから、はじめてみたのです。
■
この日のキーワードは「立入禁止」でした。
自分がいちばん感じていたことが、その言葉でした。
「こっちにくるな」「それはしゃべるな」
「ふれるな」「はいるな」
「うたうな」「つくるな」
そんな、見えない立入禁止がはりめぐらされたセカイを、
ぼくたち生きているような気がしていました。
でも
「この奥にいかないと、なんにもわからないよなあ……」
と、絶望、という以上に、なんともいえないもやもやした
さみしさのような、いらだちのようなものを感じていたのです。
■
それで、「想像力の道をつくる」ということが、
ぼく(ら)みたいな歌うたい、表現者がやるべきことだ、と思い至りました。
能登のこと、福島のこと、それから千葉の富栄橋のことをしゃべりました。
当日、うまくまとめられなかったけど、
「なんだかわからないけど無視されてるもの」
に対して
「どうにかして手をふれたい」
と思う自分がいるようです。
それはときに暴力的なことだし、自分勝手なことのようにもうつります。
それでも、こうやって現地に行ったり、歌をつくったりしないと、
切断されたまま、とぎれとぎれで、それじゃいけないような気がしてしまうのです。
「つなげる」ってことは、乱暴なことでもあるとおもう。
けれど、つなげないと、乱暴以前に、
「ぼくたちお互い関係ないよね」
と、申し合わせもしないうちから、ただただ「なにも起こらない」が起こるのです。
ぼくは、なんだか、そういうことと、
はんたいのことがしたいとおもったのです。
■
「立入禁止」とは、
「その向こうのことは考えない」
ってことでもあります。
「なかったこと」にする。
「みないこと」にする。
政治とは、立入禁止を設定するものでもあります。
逆に、
「ここまではいっていいよ」と
立入許可するものでもある。
政治は、社会に、必要なものです。
もし政治がなければ、ぼくたちの日常生活もままなりません。
でも、それだけに慣れてしまうと、
政治以前のもの、
立入禁止とか、立入許可とか、
あえて設定する以前の時代のことを、
忘れてしまいます。
歌や詩や芸術は、
その「見えない線」を
自由に超えていきます。
だからときに、それは政治と対立し
「いけないこと」
のようにもうつります。
政治がひいた線を超えたところに、
政治以前の「現実」がある。
震災遺構をのこすのは、
それにふれられるようにするためでもある
とおもいます。
(宗教にはほんらい、政治を相対化する力があります。ただ日本では宗教の力が弱い。戦後はサブカルチャーがその領域を代替していました。しかし今度はサブカルチャーも弱まって、かつサブカルチャー自体がだんだん「政治化」して、政治以前の想像力を失いつつあります。そのことへの危機感と反動がぼくの発想の底にあります。)
■
お金を払って、足を運んでもらって(台風が接近するなかでのイベントでした)
お話と歌を聞いてもらう。
そこで成り立つのは
おたがいの線を超えること。
やる前はものすごく不安でしたが、
やってみて、ぼくの話を聞いてもらって
写真を見てもらって、歌を聴いてもらって
ぼくらのなかの「見えない線」が超えられたように感じました。
それはとてもうれしく、安心できることでした。
▼能登のこと
能登は震災で大変です。
それにたいしてできることをしたい。
こうやって、千葉で話すだけじゃなくて
もっと一歩ふみこむ。
そのために、現地でライブをしたいとおもっています。
そのためのプレイベントを何回かやります。
第一回目は10月15日、越谷ごりごりハウスにて。
向こうでライブをやって、
能登のひとや土地にもつながりを生み出す。
そこまでやって、ひとつの応答責任になるとおもいます。
それはあのスナックのママの言葉(不要不急のアートより震災復興だ)
への応答でもあります。
▼詩について
お配りした小冊子に詩をのせました。
詩は、自分自身のうちなる「立入禁止」との自問自答でもあります。
自分自身への言葉でもあって、だから混沌としていたり、
意味が普通には通らなかったりする。
でも、そうした詩の言葉をもっていないと、
自分自身がセカイとよくつりあわない気がして
ときおり詩を書いています。
■
今回のイベントは、これからの活動の一環です。
今後もさらに進んでいきます。
よろしくお願いいたします。
今年の年始にとっちらかった抱負の文章を書きました。
そこに「現実に没入すること」「現実をつくる」を今年の抱負としてあげていました。
今回のイベントのフライヤーには、様々な土地を旅して「現実なんて、ねえ!」とわかった、と書きました。
このイベントは、その意味で、「なかった(と感じた)現実への道をつくる第一歩」のようなものでした。
まず、自分が見て感じたこと、考えたことをしゃべって伝える。
写真を見せて、自分が見たものを共有する。
そんなところから、はじめてみたのです。
■
この日のキーワードは「立入禁止」でした。
自分がいちばん感じていたことが、その言葉でした。
「こっちにくるな」「それはしゃべるな」
「ふれるな」「はいるな」
「うたうな」「つくるな」
そんな、見えない立入禁止がはりめぐらされたセカイを、
ぼくたち生きているような気がしていました。
でも
「この奥にいかないと、なんにもわからないよなあ……」
と、絶望、という以上に、なんともいえないもやもやした
さみしさのような、いらだちのようなものを感じていたのです。
■
それで、「想像力の道をつくる」ということが、
ぼく(ら)みたいな歌うたい、表現者がやるべきことだ、と思い至りました。
能登のこと、福島のこと、それから千葉の富栄橋のことをしゃべりました。
当日、うまくまとめられなかったけど、
「なんだかわからないけど無視されてるもの」
に対して
「どうにかして手をふれたい」
と思う自分がいるようです。
それはときに暴力的なことだし、自分勝手なことのようにもうつります。
それでも、こうやって現地に行ったり、歌をつくったりしないと、
切断されたまま、とぎれとぎれで、それじゃいけないような気がしてしまうのです。
「つなげる」ってことは、乱暴なことでもあるとおもう。
けれど、つなげないと、乱暴以前に、
「ぼくたちお互い関係ないよね」
と、申し合わせもしないうちから、ただただ「なにも起こらない」が起こるのです。
ぼくは、なんだか、そういうことと、
はんたいのことがしたいとおもったのです。
■
「立入禁止」とは、
「その向こうのことは考えない」
ってことでもあります。
「なかったこと」にする。
「みないこと」にする。
政治とは、立入禁止を設定するものでもあります。
逆に、
「ここまではいっていいよ」と
立入許可するものでもある。
政治は、社会に、必要なものです。
もし政治がなければ、ぼくたちの日常生活もままなりません。
でも、それだけに慣れてしまうと、
政治以前のもの、
立入禁止とか、立入許可とか、
あえて設定する以前の時代のことを、
忘れてしまいます。
歌や詩や芸術は、
その「見えない線」を
自由に超えていきます。
だからときに、それは政治と対立し
「いけないこと」
のようにもうつります。
政治がひいた線を超えたところに、
政治以前の「現実」がある。
震災遺構をのこすのは、
それにふれられるようにするためでもある
とおもいます。
(宗教にはほんらい、政治を相対化する力があります。ただ日本では宗教の力が弱い。戦後はサブカルチャーがその領域を代替していました。しかし今度はサブカルチャーも弱まって、かつサブカルチャー自体がだんだん「政治化」して、政治以前の想像力を失いつつあります。そのことへの危機感と反動がぼくの発想の底にあります。)
■
お金を払って、足を運んでもらって(台風が接近するなかでのイベントでした)
お話と歌を聞いてもらう。
そこで成り立つのは
おたがいの線を超えること。
やる前はものすごく不安でしたが、
やってみて、ぼくの話を聞いてもらって
写真を見てもらって、歌を聴いてもらって
ぼくらのなかの「見えない線」が超えられたように感じました。
それはとてもうれしく、安心できることでした。
▼能登のこと
能登は震災で大変です。
それにたいしてできることをしたい。
こうやって、千葉で話すだけじゃなくて
もっと一歩ふみこむ。
そのために、現地でライブをしたいとおもっています。
そのためのプレイベントを何回かやります。
第一回目は10月15日、越谷ごりごりハウスにて。
向こうでライブをやって、
能登のひとや土地にもつながりを生み出す。
そこまでやって、ひとつの応答責任になるとおもいます。
それはあのスナックのママの言葉(不要不急のアートより震災復興だ)
への応答でもあります。
▼詩について
お配りした小冊子に詩をのせました。
詩は、自分自身のうちなる「立入禁止」との自問自答でもあります。
自分自身への言葉でもあって、だから混沌としていたり、
意味が普通には通らなかったりする。
でも、そうした詩の言葉をもっていないと、
自分自身がセカイとよくつりあわない気がして
ときおり詩を書いています。
■
今回のイベントは、これからの活動の一環です。
今後もさらに進んでいきます。
よろしくお願いいたします。
All photos by 新井大気