ネットの中の難民たち
女子プロ事件
・先週、女子プロレス「スターダム」の試合内の事件がありました。
プロレスの限度を大きく逸脱した攻撃によって、一方の選手が重傷を負いました。
今回、まわりくどいことを除いて、
できるだけシンプルに書いてみたいと思います。
コメント欄の文章
・重傷を負った側の選手、
安川惡斗さんは、自身のドキュメンタリー映画の公開直前でした。
その映画の監督がブログに経緯をつづっています。
そのとき近くにいた人間の、生々しい詳細な記述でした。
感情がこもっているとも思いました。
読み終わって今度は、下にあるコメント欄を読んでみました。
批判と応援の比率が、半々ぐらいに、たくさんあります。
よくわかりませんが、コメント主には、強い言い分があり、
その強い言い分によって、罵倒に近い物言いになっている、
そういうコメントも多くありました。
コメントをひとつ引用してみます。
・先週、女子プロレス「スターダム」の試合内の事件がありました。
プロレスの限度を大きく逸脱した攻撃によって、一方の選手が重傷を負いました。
今回、まわりくどいことを除いて、
できるだけシンプルに書いてみたいと思います。
コメント欄の文章
・重傷を負った側の選手、
安川惡斗さんは、自身のドキュメンタリー映画の公開直前でした。
その映画の監督がブログに経緯をつづっています。
そのとき近くにいた人間の、生々しい詳細な記述でした。
感情がこもっているとも思いました。
読み終わって今度は、下にあるコメント欄を読んでみました。
批判と応援の比率が、半々ぐらいに、たくさんあります。
よくわかりませんが、コメント主には、強い言い分があり、
その強い言い分によって、罵倒に近い物言いになっている、
そういうコメントも多くありました。
コメントをひとつ引用してみます。
28 ■気持ち悪い
女性から見ると、この見世物はじめ、この監督、周りの関係者の男が全員気持ち悪い。
そんな弱い人間を、プロレスのマットの上に出す事自体が間違ってるのでは?
力自慢でプロレスに入ってきた人達が、弱すぎる戦う能力0の人間相手に
完全な100%のお遊戯ばかり求められて
アイドルの添え物になるばかりじゃストレスもたまって当然。
この監督といい、アイドルでオナニーして
普通のプロレス女子選手を悪者扱いしたいなら
そういう出し物を作ればいいだけ。
女子アイドル選手団体でも作ってそれを見て、がむしゃらだ~、ひたむきだ~、って涙流してオナニーしてろ。
顔しか見てないくせに気持ちが悪いんだよ。
感情のある人間を完全にアニメみたいに自分らのちんぽのいいように動かす事自体が不可能だろうが。
人間は興奮してアドレナリンも出るし、差別待遇ばかりしてたら不満も溜まって当然。
体を鍛えている人間ならなおさら。
くだらねーアイドルオナニーがしたいならプロレスなんかやらせないで映画だけやらせてろ、馬鹿男。
少しはまともに戦おうとして入ってきた女子プロレス選手の気持ちも考えろ。
アジャコング・ブル中野なんかがいた時代は誰が見ても面白かったなあ。
アイドル選手にしても、それなりに説得力のある筋肉や動きがあった。
今は女優(笑)アイドル選手が危ないから、この気持ち悪い監督含めて、顔しか見てないキモヲタ男から講義殺到かな。
女子プロ見てる男気持ち悪すぎ 2015-02-25 17:50:41
・こうやって、実際に書かれたコメントをよそから引用することが
いいことだろうか、とも思います。
コメントに言いたいことがあったら、
そのコメント欄で直接言えばいいのではないか。
なぜ、自分のホームページにひっぱるのか?
このコメント主は、コメントすることによって
自分の株(評価)が上がることなど願慮していません。
おそらく使い捨てのハンドルネームでしょうから。
それとは違って僕は実名でいまこれを書いています。
「実名」ということは、その当人への評価が、
使い捨てではなく積み重なってゆく、ということです。
後出しジャンケンで、しかも特権的な位置で、
僕は彼女(とりあえず女性ということにしておきます)
の意見を扱うことになる。
彼女の意見それ自体は汚く、下品でしょうが、
僕自身もそれと違う点で、あるいは同じ点で、
汚く下品な存在なのであることを自覚しつつ
「悪事をなす」覚悟で書いてみることにします。
「美醜」問題
・彼女がこだわっているのは、
きっと「美醜」の問題です。
ある人が美しくて、別のある人がぶさいくな場合、
大抵の男は美しい人のほうに近づきたくなる。
能力がなくても、顔が良ければ、男は応援する。
そういう男の側の「差別」と「愚かさ」に
彼女は怒っているように見える。
たしかに、
「見た目がきれいな方が優遇される」
という現実様式は、
理不尽で不公平で、
また、時代を経るにしたがって、
その傾向は強化されてきているような気がします。
瞬間的に
「かわいいか、かわいくないか」
でスクリーニングされる。
そういった「不公平な社会」がある。
ネット難民?ネット民?
・リアルで不満が溜まってることを、ネットに吐き出す。
美醜の問題は、ふだん、なかなか口にしづらいものなのだと思います。
ネットでだけ言えること。
ネットでだけ許される言葉。
このコラムを書いている僕も、
彼女と同型です。
普段言えないことを、ネット上に書く。
普段言えないことを、ノートに書く。
普段言えないことを、歌にのせて言う。
どれも、「リアルの場」より、
ある種の「選ばれた場」において、
より生き生きとした表現がなされるのです。
それは「言いたいことが言えない人」の、
「臆病者」の態度です。
リアルで行き詰まるほどネットに行き、
行けば行くほど表現活動が聖化するのです。
「芸術」の保護色
・しかし、僕と彼女において違うのは、
まがりなりにも僕の場合は一応
「ミュージシャン」ということになっていて、
それは広い意味で「芸術家」を意味するので、
歌ったりする内容も、「作品」として受け取られる。
でも、彼女の場合は、
「ネット上の罵詈雑言」の一部として見られるのみで、
誰からも顧みられることはありません。
率直にいえば、
彼女のこの「コメント」をそのまま歌詞にしてしまっても、
僕の場合はそれが「評価」に直結するので、
いつだって居場所がありえます。
それが「芸術」という文化の「力」です。
つまり、たとえ最小限の意味だとしても、
それもひとつの「権威」なのです。
彼女がそういう表現方法をもっているか、
もっていないからネットに書き込むのか、
わかりませんが、
非常に弱い力しか彼女の言葉はもちえないし、
社会から承認されてもいない、ということです。
ネット上の「テロリスト」
・僕は、追い詰められた人間が、もうほかに表現のしようがなくてとる行動、
もっぱらそれが「テロ」の様態であるとしたら、
彼女が行ったコメントにもその共通点がある気がするのです。
そして、超大国が、あるいは、
さほど超大国でもない経済大国が、
「テロに屈しない」
「テロとの戦い」
と宣言するとき、
自分たちのほうこそテロをしていないか、
と自らに問うたほうがいいのです。
あくまでそれはたとえです、が、
「ネット上の罵詈雑言を見ていられない」
「とても不愉快で見聞きしたくない」
と、拒否反応で終わってしまうのも、
ほんとうはすれちがってしまっているんじゃないか、
と、彼女のコメントをしかと読みながら、気づいたのです。
生身の人間が、常に向こう側にいる。
そういう想像力を、放棄してしまったままでいいのか。
自分の様式の範囲外の、
「グロテスク」なものと、向かい合う。
つまり、
「僕もあなたも、いっしょだね」
と思えるところまで、近づく。
その先にだけきっと平和がある。
そういう景色を信じたいです。
偉そうに書いて、すみません。
以上、コラム第三回目でした。
2015/03/03 13:35 記