ヌマケン ((沼田謙二朗のWEBサイト))
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2025年1月23日

重層的な

2025年1月8日

詩を書く。ああ……
奥能登にまた行ってきて、またぞろ 「詩が消えていたんだあ」なんてなあ。
……折口の、あのこっわい墓地にいって、そんで、おそろしか! ありゃあ土葬かいのお

奥能登の風光 あれは、 ニシダキタロウ 京都学派について、は空振りだった

……

父が倒れたってん。
なんや、心筋梗塞ってな
 別れはとつぜん やってくる
そうかもしれない。そうなのかも

祖母は、とつぜん、たおれた
脳梗塞やった。
おれは 前夜に ソナチネ みてた
北野武ばってん
どきゅーんどきゅーん
ぴすとるのおと
こわいね びくびく
おばあちゃん びびってたんやってん

梗塞ってのは ストレスかいねえ
びくっびく
いらいら
それを もたらす
間接的加害

……

ぼくたちにはなにかを 明言 する能力 ありません
まるであの 反体制派の 闘志のように
はっきりきっぱり 言い切るかくごもゆうきもございませんで
それであの
ごにょごにょ
すんのですって

……

親や家族のことなんて
はっきり言えることなかった
言ったことも

いく 行く 言う いく
言う ができなくて 行く
言う のまえに 行く
言えない のあとに 行く

ぼくのかぞく
ぼくも かぞく

ルルルルル〜 るる
る る る ルル〜

……

能登半島地震や豪雨災害からの復旧・復興を加速させようと、石川県の馳知事はかつて能登半島を大学生が3日間にわたってたすきをつないだ「能登駅伝」を復活させる方針を明らかにしました。

「能登駅伝」は、能登半島が国定公園に指定されたことを記念して昭和43年から10年間開催され、富山県高岡市から石川県の珠洲市や輪島市を通り、金沢市までの26区間、およそ350キロを大学生が3日間にわたってたすきをつなぎました。

馳知事は6日開かれた年頭の記者会見で被災地の復旧・復興を加速させるとともに、参加者と住民の交流を通して地域に活力をもたらすきっかけにしたいとして、能登駅伝を復活させる方針を明らかにしました。

開催に向けては、道路などの復旧や宿泊施設の確保などが必要だということで、新年度に準備委員会を設置し、数年後の開催を目指すとしています。

馳知事は、「能登のすばらしさを国内外に発信するとともに、復興の過程を知ってもらい、参加する学生が能登に関心を持ち続けるよう工夫を凝らしながら、記録より記憶に残る大会にしていきたい」と話していました。★


 奥能登の 道を走る青年の たくましさに脳裏 焼き付きており


アホか、馳浩。駅伝より先にやることあるだろ。まだ上下水道も復旧してない、公費解体も進んでない&壊れた自宅の修理も住んでない、田畑や医療介護、その他生活に必要なインフラの整備も進んでない、人口流出加速etc なのに駅伝とか、ブルーインパルス飛ばしたのと変わらないだろ。仕事しろ。★

箱根駅伝をテレビで見たこの知事の「脳筋内」で
「駅伝やりたい」
がその脳細胞の殆どを占めてしまい、残り少ない脳細胞にわずかに残っていた「能登復興」と結びついて
「駅伝復活で復興だ」
になったと思われるが、
数年後の開催より今の住民生活を救うべきだと考えるには容量不足だった模様 ★


今年は、ちゃんと石川県にいたんですね?
東京の自宅でのんびりしてたかとw
地域の復旧復興が、まだ道半ばなのに駅伝てwww
アイデアなき無能知事を自ら露呈www ★


やっぱこの知事、無能だわ。
山本太郎さんの発言をガチで聞いたら、駅伝なんてまだ先の事でしょうが。。。自衛隊に土砂撤去を政府にお願いしてるレベルだよ?
石川県民じゃなくて良かった、まだ小池百合子のほうが良さそう。★


 知事の眉毛にのっかりながら 言葉の放尿をつづけるがごとし
 「やっぱり」の思いに自己確認する 自己像 知事と 影 抱擁して

……

「あんな、原発たてるようなとこだもの」「そりゃあばかよ」「どうしようもないわ」
 こころがたしかにきずついていたのは

「抱負なんていったって、もう、しょうんないもんねえ」「なんかしゃべってるなんて知れたら、村八分だから」「お父さん、ずっと反対してたんだけど、最後には折れてしまってなあ」
 どうしようもないことがあり 人生には それを受け容れるのが大人か、子どもか

 悪い人ではないとおもった 悪い 悪 とは?
 未来に みらいに ミライ に なにをのこすかのこさないのか
 ノコシテハイケナイモノ が ある といいますか

 ……珠洲のヒトのコトバは、まっすぐで、屈折がなかった。いや、奥にはあった。たくさんの傷が。だけど、それは筋が通っていて、シンプルでクリアだった。対して、志賀町のヒトのコトバは、言い淀んで、ほほえみであいまいにするようなところがあった。善人。だけど、善人じゃだめだ。善人だからだめだ。ああ、そういうことはわかる。だけどおれはこのおかあさんを、悪人とはいえない。いやいや、そういう話じゃないんだよ……。おれは、なんだかとってもやるせなくて、やるせなくて、それで、帰りの深夜バスのなかでひとり、お決まりの、感傷があり、輝度を最低にしたスマホに打ち込む

 人と人のあいだに心がありその心の無意識を今度は詩にして歌にしようと

歌にしようと

人と人のあいだの心

その無意識

2024年9月19日

殺害は舞台裏でおこなわれて
云々
という詩があったなあ
と思い出す
そんな時間が必要だ

おれには友はいるのか?
と思いながら
せめてものコトバを吐き出しつづける
おれははおれの脳内で
そうして情報端末に
送信ボタンをタッチする
タッチスクリーンが
無機質なそれが

心と心はつながるだろうか
表現に意味はあるだろうか
すべてむなしい
人間がいくら偉そうにしても
単なる威張り合いでおわっている

お山とお山の大将が
にらめっこして投票を競っても
おれもまたおなじことをするしかない
んだと
ありがたい忠告をいただく

「おれはつかれたよ」
吐露するは友よ
友というものを仮構する
そうして友だちになる

2024年6月22日

死んでもいい
それは「信じるもの」があったからだ!
でもいまはなにもない
死 すらも意味がない

ああ価値よ
信ずるに値するものよ
かつては人間!
だけどいまは
計算機のうえをすべる数値が
至上の価値だってんなら

おれの言葉は意味ないね!
詩も文学も
とおくにおいてきちまったい

ああ
とりにいこう
とりにもどろう
かつていた場所にもういちど
やりなおさなくっちゃあ!
今度はべつのやりかたで
それしかないさ
そうするんさ
さあ……

2024年5月9日

「朝」

詩を書くのはどのような習慣か?
メモを取るように
書きとめる
が
どう心をひらくか?
個人の 誰もめをふれない
場所での文章と
こうしたネットの場所は
それだけでも構えが異なる

それはそうなんだけどねえ
たとえばライブでMCするとき
構えはどうか?
今朝
セブンイレブン
の
ところ
で
解体工事
ああ あれ もうないよ
くだけとんだコンクリートの山
の上に
重機が鎮座ましまして
(どうやって登ったのかしらん)
セブンイレブンコンビニは
匿名の記憶
記録にも残らず
いつのまにか消える

2024年5月6日

「能登」

能登に行った ふたたび
「お前なんて来るんじゃねえよ」
という声が聞こえた気がして、海鳥
が告げたのだと
かんじたけれど。

能登に行ってなにを見ますか?
なにを

半壊、全壊の建物
嘆くおじいさん
「迷惑なんてとんでもない、来てください」のひと
の、笑顔


▼
「まあ、地元でこんなこと言うのもよくないですけど……正直、人が一ヶ月いられる環境じゃない」
空気がくもって焼き鳥が落ちた それは気のせいだったけど たしかに黒いコゲがぴりっと剥がれ それに気づくぼくの軽薄さもにらんでいた


▼
「私」を押し出して、前面に立てて、「俺がやるのは文学だ」なんて意気込んだ。
それは、どうしたって、「被災地を食いものにするアーティスト」の像につらなってしまう
ように思われた。
じっさい
俺なんてそんなもんだ

手を動かすより口を 頭を動かせば
必ず他人を傷つける
「身勝手なひと」
は
去れ


▼
A おまえはぬるいよ。いいから、量を出せよ。量が、足りないんだよ。それだから、薄くて、構築物がないんだよ。
B そうかもしれないな。なんだか一歩目を踏み出して、そのすぐに、自分の一歩目におののいてるような……。
A そしてそれ自体が、自慰的だってね。観念の自慰をしてても、しかたないんだ。もっと具体的になるんだ。
B ここでは、詩を書きたい。詩にならないんだ。詩をつくるためには、やっぱりもっと、自分をえぐらないといけない……。
A どうするんだ? 中途半端な自慰は、もう自分を傷つけないだろうし、それは自己批判めかした自己慰撫にすぎない。
B その路線そのものが、なんの意味をもつか? つながりのない場所に、つながりをつくる。そのためには、アクロバティックな操作が必要じゃないかしら。だから、自分の内面をテコにして、被災地と、能登と、自分をつなげようとした。その試みは、試みだけでごろっと転がって、善でも悪でもない、他愛無い遊戯と思われてる。現実に、ひっかいてないんだ。自分そのものもふくめて。自分をひっかいて現実をひっかく。そのような構えが必要じゃないか?
A それがきみの言いたいことなら、それでいいと思うけど、その試みに、勝算はあるのか?
B とにかくやってみるさ。
自分のことなら歌える。でも、縁もゆかりもない場所のことを歌っても、説得力もないし、迫力もでないよ、ってね。安い共感になるよ、ってね。それだから、誰も、得しないことはやらないってことだ。ぼくのやりたいことがわかるか? ぼくは、現実をひっくり返したいんだ。ほんとうだよ。あまりに、ぼくにとって、つまらないんだ。ちがう。ぼくがつまらない。ぼくのやってることが、ぼくにつまらない。
A 現実がつまらない。現実に起こってることが、これじゃだめだとおもえる。おい、「生きるに値する世界」って覚えてるか?
B ああ。そのことなんだ。……さっぱり、共感の糸がないのだがね。


▼
「仮設、あいてるようだねえ」「抽選、当たらんかったわ」
おじいさんの嘆き節を 聞いたあとの「コンパクトシティ」小学校では子らの声ひびき



2024年2月3日


「彼とぼくたち」

ぼくは彼をいじめていた。ぼく「たち」は束になって彼をいじめた。「いじめ」るのは愉しかった。「いじめ」ているあいだは、自分たちが、その彼(を代表する、ある虐げ可能な被差別民)よりも上位に位置すると無邪気に信じられた。自分たちの、ヒエラルキーを上位に固定するのは、快楽である。安心して、彼をいじめる。反撃はこない。心理的安全性を確保しながら、いじめる。
その「いじめ」のめぐり合わせによって、今度は自分たちが、いじめに遭う順番となった。ぼくたちはいじめられた。彼ではなく、彼から出た間接的な、彼のエネルギーに「いじめ」られた。
「いじめ」によっては、作用と反作用の往復は、単純な直線となってあらわれた。ぼくらは、いじめに飽きはじめる。いじめるのもいじめられるのも、同様に、無意味なことと悟るようになる。

いじめは止んだ。だが、「いじめがあった」という事実は残る。その記憶は残る。ぼくたちは、「加害者」であり、「被害者」でもあった。ぼくたちは、いずれにせよ、いじめの「当事者」だった。
「自分たちが当事者である」と、常日頃、意識して反省するのは難しい。たいていは、そのことを忘れて生きている。だが、考えるほかない状況はやってくる。彼がふたたび現れて、その無言のエネルギーによって、(あるいはこちらが勝手に言葉を捏造するように仮想して)ぼくらはメッセージをそれぞれに受け取った。そのメッセージは、自分の罪と向き合うことを強いるものもあれど、そのような内省がじっさいに起こることはまれだ。

ぼくたちは、もっぱら、「彼の加害を糾弾する」ことを選択する。
彼には、贖えない過去があった。しかし、彼自身もまた、その罪を軽んじて生きた。
ぼくたちは、彼に、その罪の重さをつきつけなければならなかった。そのような抵抗の障害として、彼にたいして現れなければならなかった。

同時に、そのとき、ぼくたちは、ぼくたち自身の罪を忘却する。「罪」とはっきり呼べるものが、ぼくたちにあったかはわからない。ただ、たしかに「いじめ」は存在していた。そのことを、ぼくも知っていた。その「いじめ」は、ともすれば、「たいしたことのない」「じゃれあい」に過ぎない、ともいえるかもしれない。だが、「いじめられたほう」からすれば、そんなことはいえない。
ここで、彼が「自分の罪を甘く見積もる」ことと、ぼくらが「自分の罪を甘く見積もること」は、奇妙なことに、対応する。
ぼくらと彼は、この点で、鏡になっているのだった。この構造から抜け出さないかぎり、ぼくらと彼の関係は、打ち消し合って発展しない。

彼自身が、こうやって生きてきたことの選択に、ぼくらも関わっていた。もしぼくらが、もっと真心をこめた公平な関係を彼と築いていたならば、ああした結果にはならなかったかもしれないのだ。
そのことの「責任」というものが、もしあるとするならば、ぼくはその責任を、どう背負うべきか。
そのことを考えている。いずれかの選択をしなくてはならない。態度をもとめられる。






「そして」

被災地には批評がない
現場には批評がない
匿名者には批評がない
「おまえはばかだ」
言葉が届かない
批評は
自分を自分で変えることだ
世界と素手でとっくみあう
素人の方法だ
「おまえはばかだ」
と言うとき
その「ばか」は自分自身でもある
生きた他人に素手でふれるとき
かならずその人を傷つける
だからこそ自分自身もまた
傷つかないではいられない
傷と傷がふれあう距離を
果たして許し合えるかどうか
それが目下
いちばんの困難な課題だ


2024年2月1日

「悪意」

なんのことはない
くだらない/ 競争
((匿名でいいんだ
「代表」なんてできないんだから、みんなくじ引きで決めりゃいいんだ

そうやって……
なにも決まらないのだが

◇

過去を気安く打ち捨てて
着せかえできると思い至った
人間のおがくずが歩いてきた
向こうから
こちらへ
その人間を無視する
無視しなくちゃ
ぼくは身をこわばらせる

「なぜみんなわからないんだろう?」
ぼくは「不思議」という感想をもった



「期待」

自分の頭を支配する法則を知る
でもそんなの知ったとて
なにも変えられはしなかった
ただ客観的な
説明が積みあがっただけで

はい
そうですか
納得する
仕草で

彼は 精神を失った
人間精神を失った
誰もかれも
人間精神はいずこ
それで追い求めようと
靴ひもを結んだが
外はさむいのかな
と
急におっくうになってやめた

そんなことの連続だった
ぼくの頭を支配する
惰性が
肉体言語
の不足を
埋め合わせるに足りない
この砂は
ぼくの頭のふりかけにすらならない

自分の無力を
左肩の疲れを



2024年1月17日

斉藤斎藤さんに倣って

視察ノーマスク「配慮不足だった」 能登地震の避難所で 松村防災相(時事通信) - Yahoo!ニュース ★

本当に恐ろしい時代です。不特定多数の人間が様々なメディア映像や情報を見聞きし、好き放題SNSで意見(主に批判)を述べ、それに対して反応・釈明をしないと駄目な時代。どう見ても正しいであろう、正論でも反論は許されない異常な世界。今はマスクは自由ですし、学校でも先生が率先して外すのがデフォルトなのに、被災地だから、もし感染症が広がったらと、一瞬の隙も許さないと、スマホ、PCに向かって毎日あら探し。凄い時代ですよ。


   興奮するんだよ。見知らぬコトバがたくさんあって。見知らぬやつの見知らぬ顔と見知らぬ温度



手記にするしない、誰が読む読まないってことではなくってですね、自分に向けて書き残していかなければいけないといけないんじゃないかっていうふうに思って、ずっと書き続けていたわけなんです。(中略)例えば、寒くなったら、1月になったら、自分から探しに行くわけなんです。ゴスペルの会があったらそこに参加してみたりとか、街を歩いたりだとか、娘と宝塚の川にある生の字のイベントに行ったり、毎年どこかに身を置いて自分なりに感じたことを残していく。で、5年目までは何もなくても書けたわけなんですけれども、6年目以降は自分から探しに行かないと、街もきれいになって、人の話の話題にも上ってこなくって、だから、自傷行為っていいますかね、自分から何か傷をつけないと書けない状態が続いていたんですね。で、最初10年目ぐらいまでは感想とかがあったりしたんですけれど、15年16年とだんだん年が重なっていくにつれて返信がなくなってきたりして、やっぱり関心がなくなっていくわけですよね。で、そういう辛さもあって、18年目19年目は書かなかったんです。で、今回この話を頂いたんで、これはもう、書かしていただくしかないと思って。★

   自分で自分を傷つけることが書くことならば それは自己への追悼なのか
   亡くなった人びとを哀悼する 入り口に立つため傷を要する



行くのをためらった状態を作ったことは大きな間違いだったと思います。そして、先に入った一部のボランティアまでが、行政と同じように「来ないで」と伝えたのにも、大きなショックを受けました。
「ボランティア元年」と言われた阪神・淡路大震災を考えると、今回の発災では、ボランティア自身の線引きや権威主義化に違和感を覚えました。
どんな被災地にも、スタンドプレーのように目立とうとする迷惑なボランティアはいます。そういう人たちに向けて、ブレーキとしてのメッセージが必要なのは分かります。
しかし、今回は「控える」の一色になったことで、被災者にとても厳しい結果を招いたと思います。交通渋滞の問題ならば、例えば緊急援助の迷惑にならない道をボランティアラインとして示す方法もあったのではないか、と思います。★


「地理的な要因や交通渋滞」をちゃんと認識してるのに「大量に自衛隊と警察、消防を入れてぬかりなく進められていたら」とか、「それが出来れば苦労しねえ」って事を平気で言えるの、なんが認知がバグってる気がする。

後から孔明気取りですか。
というか、石川県の防災危機管理アドバイザーとしての貴方が、大いに間違っていたという事ですか?
貴方がその立場で発言するなら、どう責任を取るおつもりなのか、まずそこからではないですか?


   ぼくらが「君と同じ」といえる条件ってなんだったのかわかんなくなってって
   評価経済ひとまわりして「英雄気取り」は土にまみれて、ああ憮然





 斉藤斎藤さんの『人の道、死ぬと町』という歌集がある。その歌集の形式に倣ってつくった。ぼくらを取り巻く言葉の渦。そのひとつひとつのコメントをひっぱってきて、それに対してコメント的な歌をくっつける。ネットの言葉を文芸のフィールドにひっぱりこむことでもある。
「引用」というのは、現代の情報環境、言語環境における重大な要素だ。ぼくたちは、「引用」の頻発化によって、「自分の言葉」と「他人の言葉」の区別がつきづらくなった世界にいる。であれば、そこから、「自分の言葉を再興しよう」という試みが延びる。でもその前に、その「自分の言葉と他人の言葉の区別がつきづらくなった世界」そのものを対象化し描くのはどうだろう。ぼくたちは、かなり手前の段階にいる。全体像が見えない。全体像が対象化できていない。するとつまり、メタ視点がもてないことになる。その状態を脱したい。ぼくはいまこの世界を変えたい。どう変えるか? 主体性を発揮できるようにまずしたい。主体性とはなにか。それはそれぞれ、人間各自の自己の内発性であり、文学性だ。いま、ひとことで言えば、文学が足りない。「足りない」というより、存在しなくなった。文学の消去、あるいは忘却。
 そのような時代状況で、民主主義なんて、どうしようもない。民主主義? ボランティアの是非論は、民主主義の是非論とつながっているように、ぼくには思えた。ぼくは、「素人は被災地に関わるな」というもの言いは、好きじゃない。「好き嫌い」で政治や社会を、いま語りたい気分になっている。詩は、民主主義とつながっている。誰もが「自分」をもっており、誰もが「詩」をもっている。誰もが、ものを言う権利をもっている。反発や非難は、ありふれている。その反発や非難の言葉も、またもの言う権利のもとに発せられている。そして、「言わない」選択もまた、増える。「言う」機会が、より平等におとずれるように、より豊かであるように願う。



2023年10月14日

ぼくたちは
 なにをどうかんじてるだろうか
それはどれだけ「ほんとう」だろうか?

基本的には、ぜんぶ一種の「嘘」、フィクションなんだとおもうんですよね
だってあなたもそう言ってたでしょう、いつか
演じている 仮面を
「おまえ、カメレオンだなあ」


僕は、そうですね、適当な人間でしょうね。音楽をやっているんです。いや、意味はないですよ。意図もないです。ただ、やっているだけなんです。なぜって……それは、頼まれるからですね。「この日にやってくれ」って、頼まれるから。誰にも頼まれなかったら、そもそも、音楽なんてやってないって……

いやいや、そう、はじめは勝手にはじめました。家で、ギターを弾いてね。そのギターも、母親がゴミ捨て場から拾ってきたものだったなあ。
だからねえ、なんとなく、なんですよ。いたってなんとなく。それでつづけてきました。
だから、意図はない。ないんですよ、意図なんて。

ほんとうのことをしゃべる つもりはなかった
はじめから
ずっと嘘をつきつづけていた
……いや、そうじゃない
ほんとうのことを言いたかった
でもそんな「言葉」は、通じなかった

ほんとうの言葉と、ほんとうの耳
言葉だけがあっても、だめだとおもった
耳がなくちゃだめだ
耳は……どうしたら身につくんだろう
きみはどうやったら、きみはどうしたら
きみの耳にどうとどく?

単純に、なれよ。考えすぎなんだよ。うっとうしいんだよ、やめろよ。「こっちくんな」「え、なんでいるの?」笑 バスケットボール ゴールにはいんなかった ぼくは……
靴をかくした。それも言えなかった。ファミコンのタルるートくん。セーブデータを消した。それも言えなかった。川が流れてぼくをおしながす 自分は主体じゃなかったんだね 主体? 主体に、どうやったらなるの
本を読んだ ひらいた 「考えているひとの言葉」に、救われた 音楽では えられない解放だった 感情に 言葉をあたえらえるような 違和感に 言葉がついて
違和感を言葉にすること
こんどはそれにとくいになった

もっとかんたんに、わかりあえるんだろうって、おもってた さいしょはそうだ
でもちがった
わからないんだ、なんでだろう いっしょうけんめい すなおにしゃべったのに
耳 が 耳が 耳が!
耳 
が

ぼくは耳をもとめた 耳がぼくにひつようだった
ぼくの言葉をきいてくれる 
耳


ぼくは けっきょく わがままだったのかもしんない
きづかなかった めぐまれていたことに
かんしゃできなかった
感謝 感謝
ただ うわついて うわすべり して
どこにもいきつくことがないまま
つるつる すってん
スーパーの壁にぶちあたる
「今日は 野菜が安い日だあ」
思い出の中の架空の自分に
なりすまして 今夜
果たせなかった夢を果たす
冒険がまだ生きていた時代に
生まれて 死ぬころに
可能性は数値で予測される
ぼくはにんげんのまましぬ
それだけが責務となるだろう

2023年9月29日

過去ということで。それを押し出したいようで。「僕」は「君」ってんで。
「文学っていうのか、それ、個人の歴史、っつうか、個人の内面の動き、行動、起きたこと、そういうのの集積で記録で、これは同時代の刻み込む石碑っつうことで、でんでん」
一人でそれやってても意味がない、ってんで、「君」にっつうか他人に どうよ ってなもんで、そうやってあからさまにしていくことが。



2023年9月7日

赤い帽子をかぶった男が その帽子を脱ぐ
はげ頭があらわになったよ
その男が言う
「おまえは過去を捨てたんだ」
「おまえは過去を忘却したんだ」
「おまえは過去の自分を捨てたんだ」
はげ頭の男は 涙目でそう言う

ぼくにとっては
二重になったぼくの
ぼく自身の かたちは
石とおなじように硬くなって
くだけるのを待ってしまっているから
はげ頭の男の
もとめるようには
できないな

しかし
「神 がいないから 人間 だけで 世界 をつくろうとする試みは 短命に終わる」
と
そのはげ頭の男が言った
神
を もとめるきもちは
ぼくにはなかった
けれど

外部に じぶんの操作できない よそに
じぶん という存在を 規定しうる
存在 絶対者
神
それが いない ということに
みえない動揺が たしかにあって
あらゆる現代の不安定は
そこに根拠がある
と言えば言える
そのようにもおもったので

男に
「じゃあ やるだけやってみよう」
と言いかけたのであった

さて なにをやるのか?
それが問題であるが

なんとかかんとか、歌 2023年8月26日


人間が生きるということ。ぼくが生きるということ。そこにアイデンティティがあるということ。なにもなくもぬけのカラだということ。ふぬけであること。……。それらそれらが折りつたわって、ぼくぼくぼくぼく、ぼくきみ ぼくぼくぼくぼく、らせん状のつぶつぶ構造になる。
完全にはわからなくっても、不完全であっても、声は。吐息であっても、メッセージはなくても、声は。



処理水が放出されて、X(旧ツイッター)がその話題に染まった。……といっても、それは世の中のニュースのトピックとしての話で、身近なバンドマンのあいだではさして話題にはなっていない。ぼくは「いわきにいって魚が食いたい」とポスト(ツイート)した。
魚の身になってみたら とにかく俺は喰われたくない、と思った

自分は喰われたくないもんだから、となりのやつに「お前代わりに喰われてくれよ」と懇願する魚

情緒と科学と政治と小政治・大政治……えーと、あとは? うまいもん食いたい。だから食いにいく。そんで、あとは?

賠償の 金。補償 金。自立 自活 後継者。はい、はい、はい。自分で自分を育てる、活動。




コロナ禍を通過して、いつのまにか、メンタリティが「自分の地方ファースト」になっていたようです。福島と沖縄の人がケンカしました。ぼくはただあとからその話を聞くしかなかったのです。人と人が会って話をするというのは大事なこととおもいます。
あんなやつ いてもいなくてもいいよって ふと言いかけたら、みんな言葉を聞く前にうなづいてた



「あなたの国があなたのために何ができるかを問うのではなく、あなたがあなたの国のために何ができるのかを問うてほしい」。民主主義は、そういうものだったろうか。「チームのためにできることをしたい」と語るスポーツ選手は周囲から讃えられる。「国民」はそうしたカテゴリーではなくなってしまった。
その状況を 変えるのはお前だよ。語ってるだけじゃだめだよ。 居酒屋で友だちに話してたら言われた

友がみな われよりえらく 見ゆる日よ。友がみな 疎外された向こうでしゃべってるような気がした

この疎外の壁はなんだろう? ぼくは、壁に手をやってたしかめることだけしかしない男で

男は偉大なスポーツ選手ではなく、模範的な国民でもない。男は、利己主義者として徹底することもできない

男は気弱な、優柔不断な、平凡な俗物だった




なにが正しいかわからない。ただ自分の思うままを表現するんですね。で、その「思うまま」ってものに自信がもてなかったら、どうしたらいいですか。ぼくらはなにかフィクションをつくる。フィクションだからそこに正解はない。自分を探すのではなく、自分をつくっていく。
そう考えて考えのままにページをめくった
この土地に、よいものを探すのでなく、よいものをつくっていく。そんなマインドが必要だ。じゃあ逆に「悪いもの」をつくろう。悪いものはどんなものだ? 水の底に沈んだ痛みや苦しみがある。地面をひっぺがして、それを見つめる。うめき声を聞く。
うう うう うなっている声を聴く。その声は俺が鳴らしたものだった。声は耳とつながって、いつも創作していたんだ
水の底にあるものを俺は聴いた。詩を書いた紙をやぶいて捨てた。声と声をあつめて音楽にしたてた。意志の力がいつも足りなくて困っていた。意志の力が脳みそからただれていた。亡くなった友に呼びかけたいとおもった。友もまた自分が捏造した創作だった。たくさんの友の幻想のなか、俺は自分が孤独であるという幻想をいだいていた。
目が見えなくて苦しい。耳が聞こえなくて苦しい。思い出が思い出せなくて苦しい。水を飲みすぎてお腹が苦しい。内臓が固まっていつも苦しい。伝えたいことが固着していつも苦しい。背骨から羽が生えるように苦しい。目玉がただれて虫の視界になるように苦しい。明日がまたくるとわかって苦しい。昨日がもうこないとわかって苦しい。なにもかもが意味がないことがわかるから苦しい。苦しみを見つめるのが趣味だと知ったから苦しい。
世界には意味がなく、そしてこの無意味さに怒りをいだくことを捨ててはならない。あなたは生まれ落ちた苦しみを呪いつづけ、自分を呪いつづけ、先祖からさかさまになった家系図を呪いつづけ、そうして自己の苦難のカタログを作成せねばならない。リストアップした不幸のただなかであなたが演じるのは、深い憑依の表現でなければならない。
自分なんてやっぱり許可がおりないとおもった。自分なんて誰にも好かれないとおもった。自分なんて嘘つきだかホラ吹きだか自分でもわからんとおもった。自分なんて信用できないぞとおもった。自分なんてと誰にも説明できないきもちだった。自分なんてろくでもないぜ、とわかるようにいうこともしなかった。自分なんてと自分のことをいえるのは世話ないなとおもった。自分なんて無価値だった。自分なんて無意味だった。自分なんてものはそこから一センチも前に進まない。自分なんて無だった。けれども自分なんて、自分なんて。



自由をもとめるのならそれはなぜ
思う通りに生きたいから
働かないで生きていきたいから
家族にも地元にも縛られずに
幸せだけを感じていたい
毎日楽しいことだけして
無責任に 好き勝手に 自由に生きたい

なにをもとめるの 自由をもとめるの

道を歩いても石を投げられないように生きたい
自分がいないところで悪口をいわれないように生きたい
いつもびくびくおどおどして熊が現れたらすぐ食べられないように生きたい
不条理をわからせるために不条理を演じることのないように生きたい
突然なんの前触れもなくいきなり撃ち殺されることのないように生きたい
ただかっとなってなんとなく人を撃ち殺すことのないように生きたい
以前から計画的に自宅で銃を自作したりすることのないように生きたい


2023年8月19日

写真

家の裏の丘の上で
ぼくは星空にとけこんでた
家の裏の丘の上で
街明かり それはひとびとがいる証し
家の裏の丘の上で
鉄塔を見上げながら口ずさむ その場かぎりの歌
家の裏の丘の上で
きみのことを思う 何度も何度も
家の裏の丘の上で
ぼくはぼく自身に恐れおののいていた
家の裏の丘の上で
きみがいまぼくを見たら なんて言うだろうかと考える
家の裏の丘の上で
頭のなかを簡単にした
家の裏の丘の上で
宇宙ととけあうには重たい頭が
家の裏の丘の上で
心臓からのびる垂直線を思い描いて
家の裏の丘の上で
街明かりのひとびと 安かれ


日枝神社 という神社が 家の裏の丘に ある
意味あるのかね 神社
神社って どういう存在なんだろうか
狛犬が鎮座する神社
おさいせん いれるとき ピッとなる神社
その音は 夜中のセキュリティの 音らしい
泥棒を警戒する神社
おゆみ野の 日枝神社



「お腹痛い」
アンカーダウンで「お腹痛い」を語り合った
「お腹痛い」を囲いあった
君と「お腹痛い」を交換しあった
詩の中にだけいる フクちゃん
フクちゃんと 「お腹痛い」について話した



「丘の上」

丘の上 あなたのことをおもってた
丘の上 誰かのことをおもってた
丘の上 いい自分になれそうだった
丘の上 ぼくの前に誰かがいた痕跡をなぞって

あなたが好きだ と 神社で祈る
明日うまくいくようにと神社で祈る
不幸がなくなるようにと神社で祈る
あの痛みこの苦しみがなくなるようにと神社で祈る

自分がとけていく丘の上
邪悪なものが善良になる丘の上
静かな時間がながれる丘の上
縄文の石の音が重なり響く丘の上

丘だけが知っている ぼくの手痛い失敗を
丘だけが知っている 身勝手にすりぬける高望み
丘だけが知っている 過剰に引き受けようとする責任
丘だけが知っている ファンタジーに身をやつしたその快楽

丘の上で唱えた 好きだおもう言葉は
天使だけが聴いたんだとおもう






2023年07月09日

ああ、そんなとこだろうとおもった あんたなんてそんなもんよ 自分のことしか考慮してないしする能力もないんだから「しょうがない」のよあきらめって都合がいいわ あんたなんてくずよ ばかよ てっとりばやいゴミ処理場よ そんなのにつきあうひまないわ わたしを利用しないで つかうとかおこがましい なんでそんなに偉いのよ いつからそんなに
   落ちくぼんで
へこたれて いる

___。___

それでも再起しようってんだから、えらいは偉いもんだったねえ、と
みとめてあげるんだ自分で自分の機嫌をとってね山や河や海がまっているたましいのふるさと納税証明書……ちがう

もっと冷静に 音楽をみつめなおす
それは人工の構築物 だった
俺は 構築物を 人工していた
そうなんだ そのリズム
いれこむ カンナをかける
のみで削りとる
そのリズムだ 俺は俺のリズム

リズム を つかみなおせ

およそそうやって、テンポをただしくキープしましょう

2023年4月26日だってのに

孤独についてかんがえる。おれ孤独やねん。「俺のことなんて誰にもわからない」思ってん。なあ、わからんやろ? 俺にも、ようわからんわあ。こまったなあ。ってなもんで。「わからない」のに書くなんて不思議ね。わからない、から書くのかな。不思議だね。どきどきだね。これは、どういう経験かしら。

真っ黒でも真っ白でもなく
ただ、自分で色あげしたタオルをもって
タオルをふりまわして
わたしはタオルをふりまわしている
と自認できる者の限界がここにある
明るいものは明るさをもち
だから明るいものをもちたいと望み
わたしは明るいものが好きだからと
自認できる者の限界の向こうに永遠なる海がある
そうした者との同調を拒み
ぶらさがった贅肉をだるんだるんさせる俺のような者は
格好がつく振る舞いをするのをあきらめてしまっていて
ただ退屈そうな顔をする
世界が
幸福で彩られないのに
個人と個人が
二人だけ幸福になろうとするのは
抜け駆けである
そうした世界への裏切りを
特定し駆逐するために
俺の贅肉はまだだるんだるんしている
自分の贅肉をみつめる
切ろうかなあ

2023年4月8日にしてやったもん

詩を書く……ってのから遠ざかってねえ。曰く……「時間がない」「手を動かせない」「余裕がない」ってなもんで。それじゃあ、いかんぞなもし ってんで、こりゃああかんぞと、こうやってページを開いてみると、らくがき帳 ってなもんでして。様相は。そいだから、これを こねこね ぞんぶんに やっていくとして、ね。

✎

願い ねがい 希い ほしのことば
ぎゅんぎゅん ぐるぐる みずのことば
ほっほ へっへ りくのことば

ほしのことば は …… ああ((外に向かう言葉か。それなら、たしかにいま足りてないな……もっと もっと と、頭では思うけどね。外に、外に言葉を届かせる。放り投げる、その動作。))

——水から、揚がり、陸にあがり、歩行して(地面、大地、道路、草むら)、見上げる……星!

「星があすこにあるよ」
と言い それを 指差す ためには
水に差し込む星の温度をからだで感じ、
陸を歩いてしっかり足をつかってそんで上を向いて「あれあれ」と指差すしっかり見る
を、やる必要ある

そんなもんだから、そんなもん を、やるんさ

2023年1月18日なのかな

A 最終目標はなにか

B それはね……((ああ、イマジンが足りなくって、うまくでてこないや))

C あなたは、独りよがりで、いつだって、うまいところだけ吸うのよ。それだから、それがバレてるから、あなたにだって、嫌な思いしてるわよ。わたしだって、そんなにバカじゃないわよ。わたしのこと、バカにしないでほしい。もうこれ以上、軽く扱わないでよ。

B それは……((うまく返せる、こちらの用意がないんだ))

A 理念、というものがなくてはいけなかったね。君には君の理念が。そしてその、オーセンティシティに則って、君は一貫した実践ができるか。いまできているか? できていないようじゃないか。いけないねえ。かかずらってる糸に、つきっきりになって、それは支配じゃないかね。君には主体性があるのか。君に固有の、君本来の、主体性が発揮されなければ、君の真の責任をまっとうすることは、これ、かなわない。そうじゃないかね? 君は、とうの昔に、そのことに同意したのじゃなかったかね?

B ああ、そうだ……けれど、いまの俺には……((いいや、いまなんてものじゃなくて、いつだって、俺はこういうものだ。俺はこういうもので、そこから脱却する、精神の弁証法を……いいやそんな難しい問題じゃなく、単純に、やるべきシンプルな行動を果たすだけじゃないか。まずは、それができていないから……ああ、俺はここから前に進まなくては!))
 俺は、俺には、やるべきことがある。後ろ歩きで、前に進むしかないんだ。俺は、それをやるんだ!

C あなたのそういうところって、ほんとうに無用な自己憐憫なのよ。ナルシシズム。くそったれの甘ちゃん。おしゃぶりをもとめて、いつまでさまよってるのよ。ふん。きたないわね。くだらないのよ。あんまり、もうちょっと、成熟してもらわないとね。独り立ちして、それから逆立ちして、みんなに笑ってもらおうって考えてるのよ。そんな安直な未来図が、あなたにやってくるわけないじゃないの。もっと苦しみなさいよ。野蛮な、その本性を、さらけだして、ああおっかないって、みんなに遠ざかってもらったほうがいいのよ。だってそれが、「正しい」じゃない? いまって、まちがってるわよ。あなたみたいなうすのろのバカが、自分で自分が何者かわからないで、その場その場に適応してやっていけると、思えていたの? それは、嘘なのよ。あなたは、嘘をついているから、単純な意味で、ほんとうのことを言えないわ。

B ……おお、そうだったか。ははは、そうかもしれないなあ。たしかに俺は、嘘つきのとんまだった。それを認めよう。こんなものは、さっさと認めちまやいいんだ! くそう。それで、なんだ? 俺には俺の、嘘がある。そんな大層なもんじゃないさ。あんたのほうこそ、俺を過剰評価してるんじゃあないのか? 疑わしいねえ。あんたのほうこそ、自分の自己愛を俺に投影して、そんな文句を垂れ流してるじゃあないのか。俺にはそう見えるね。そんなはったりに、俺はひっかからないぞ。俺は俺の、やるべきことを、きちんと果たすんだ! それが、約束なんだ。あんたみたいのに、それがわかってたまるか! もう俺に、つきまとうのをやめろ! 俺は、ひとりでも、ちゃんとやっていける。そのはずだ。そのはずなんだ……。

C へえ。じゃあ、さよなら。もう会わないわ。あなたのことにも、もう関心がなくなったわ。はい。じゃあ、これでお別れ。さようなら。

A 約束というものが、重たいだろうか? 君には君の約束がある。その薄れた約束の誓いを、いまいちど思い出すことだな。それでなくては、君は立ち直れないだろう。では、わたしもこれで失敬するよ—--



イマジンへの呼びかけ

マリン首相の、あの発言、みたか?
——そうだ。政治は、正論でね。あれに対抗するには……「正しくない」立場をもつ必要があるよ。今後は、日本でもあれがくるだろうね。

ぼくたちの世界を覆う変化について、ちゃんと考えなきゃいけない。
バンドマン? ぼくはバンドマンか?
バンドマンが、どこで優位性をもつか。それは、身体性(フィジカル)においてだろう。
それなのに、ああ、「政治」にかかずらううちに、フィジカルの優位性を捨ててしまうのだよ!

それがぼくはいやだ。ぼくは、予想できる。
((ち。そんな、賢いことがいいたいんじゃないやい))
コロナでもそうだっただろう?
((うるせえや。こんちくしょう))

……
「戦争反対」とつぶやくひとがいる
その言葉は、いまからの政治のなかにおいて、当初の理想を貫徹しない
それが、わかるか?
((うるせえばか))
じゃあどうすればいい?
((かんがえろよ))

「愛」をたやすく口にはすれど、その(たしかにあるところの)愛を、どうやって守れば、いいんでしょうね?

暴力がはびこれば、そんなもの、守れっこないだろう
それなのに、どうして「あんなこと」を言うの?

テロにせよ、戦争にせよ、人の感覚を変える
暴力に慣れさせる
不感症
これにこそ 抵抗せねばならない

……
我々は、不足するイマジンに、アクセスする意志をもち、制作しなければいけないのだ




2023年1月13日ですね

そうですね。
そのようですね。
小うるさいやつがいて、「詩」というものを書く気がすっかりうせていたわけですが、
まあなんとなくやってみますか。

とはいっても、ねえ。
なんでも、ないんですよね。

なんにもない ってやつでさあ
これといって、ねえ。

はあ。

さあて
つってもねえ
なにを書くんだか
どうでもいいっしょ
無なんだよ
無意味さ
詩なんて究極、不要不急
ね。だって自分にとっても「いらないもん」だった
いままで忘れてきたもんねえ
急に思い出して
「詩。君を思い出した。僕の胸に飛びこんできてほしい」
なんていったって、無効でしょう?
くそったれい
かたじけない
ほらほらどんたこす
なんか書け

とはいってもねえ
なにを書いても、文句いわれるだけだしなあ
なんにもないんさ
書きたいことはない
いやあ、ほんと、好きにさせてくれればよかったのにね
はあ
いやんなったよ
どうしようもないね
空でも眺めますか
うつらうつら
天井
天井があって空がみえない、なんてねえ
そんなこともあるもんさ
しかたない
だろう

■

気になるのは、ハラスメントのことなんですね。閉鎖的な空間だと、ほら
そっちが……
つまりこれは 「イメージ」 ですけどね
愛とハラスメントの境界線 が
設定できるのか否か
((ああそれはきみの精神的な尊さにかかっている))
そうであるか
言えるかそれが
でもねえ……

ひとつの教室で
夜間学校は
それが理想の集団性なのだと
ぼくは (規範をかいくぐって) 見出すにしても
そこにかかる(現代的な?というよりいささか男性権力的な)
図式の暴力、ないし加害性を
ワタクシ ハ 解除できるか

そのへんのことなんですよね。
わかりますか?
((オウトウセヨ・・・))
それでもねえ、気まずい空気になるって決まってますからね
困るんですけどね
困りたくないんで
空は青い
それでいいじゃん?
って
納得を獲得したいんですけどね

2022年9月4日の詩

そこらへんで。

2022年9月3日の詩

お前なんて、その闇のなかでは、すっとこどっこいだってんだ。
​……はあ。気が進まない。
ここではだめなんだ。
呪われた自意識の場所で、もうひとまわりしないと。

「いやだなあ」とおもいつつ、おもうだけで、でもそのおもうのなかで突破で。

■

書くことはすべて嘘だ。
そうやってすべて振りはらう。
読まれたくないことだけの言葉で。

とにかく「言葉にできない」ことだけが言葉であるような。
言いたいことは言えないし、言いたくないから。

それは「詩」なのだろうか。
それは、これは。

なんというか、なあ……。

■

反論できないものが詩になる。詩は、たしかに反論ではない。
これを、否定することはできない。ずず
……自由は、ある。でも存在は否定対象になるか。
ずず

周辺をまわる

ずっず

■

詩なんて……とにかく書きたいことを書く、べきだった。でもあまりにストレートに、怒りの表明はできなくて、かといってうまくずらすこともできなそうだ。では沈黙しましょう。いやいままで沈黙してきた。沈黙を、やぶる。「やぶる」ということがありうる。やぶったときには暴露といっしょだ。さらす。さらさないといけないと、哲学者は言う。自分で自分が、共同性の檻のなかに、じめじめと閉じ込められているようだ。これの解放。解放がないといけない。自由はない。じゃないといけない。しかしどうやって? これがなかった。この手段を彼は知らなかった。ぼくたちが選ぶのは、ずらしてごまかす方法なんだろうか。そうかもしれなかった。でもずらしてごまかして、無に終わるほうが、純粋な破壊よりましだ。ぼくはその、原則をえらぶ。でも原則には逸脱もある。欲望がないから言うんじゃない。欲望があるから、危険さを言いつのる。公共性に逃げる。その裏で、ぼくはわたしは、この「私」を、どうにかこうにか、再提出しないといけない。生理をともなうことだ。ただそれが足りなかった。私の生理を。言葉は、観念より先に、生理からうまれる。

■

本気で考えるってなんだろう。ぼくがいま考えている風であることは、本気か。頭から血が出るほど。脳みそから血が出るほど。なにかリハビリテーションをすることは、本気の前段階じゃないか。段階を経て本気に至る。その本気界隈では、自己とのつながりが太くなるようだから。

政治が露出してきていて、あまり誤解されるとこまるけど、政治なんてだめである。政治はだめだから、政治を政治にしないために、政治について考えるのだ。その順番じゃないと本当におかしく、危ないことになる。それが理解されないから、自分で自分の生存を疎外して、その疎外は「俺のやったことじゃない」などと本心であるかのように居直れるのだ。

さて、これは詩なんだ。いまここに、法律なんてないんだ。そうだな、「以前」っていうかな。以前の世界だ。だから「反」とかもないんだ。政治はつねに、「反」をつくる。「反」の手前にあるのは「正」なんだ。ところで「元気な大将」がぼちぼち出現していて。彼らの勇ましい軍歌をきくと、涙が出てくるよ。あんまり素晴らしくてね。一糸乱れぬ隊列なんだ。ぼくのほうは、うつらうつらだってのに。

関係のないひとを、おなじくくりのなかにいれて、まきぞえを食らわせても、「大したことなかったね」で前向きに終われる社会が、あなたの目指した社会ですか。ってね。かかかかかかかっかか

2022年7月15日〜16日の詩

 
わからない のは わからないものとし て そのまんまにできなかったか

倫理の密輸入者が
怠惰を決め込んでいたのに
わからないのは

この光景は焼け野原だ
めにやきつけておいで

ああ
ここからどうしよう
この足は立たねばならない
どこかへむけて
そのゆくさきは
自分で決めねばならない
しかし群衆は闇のなかで
もうわからない

・

「お前もか」
そうだ
「踏み絵か」
どちらにとっての、だろう?

踏んだらどうなるものか
これを踏んで その先に
それとも踏まないでとどまって
……ええい、やめだ、やめだ

ああ、しかし
「お前もか」
どうしても永井豪の漫画を思い出す
なにかが出回っているのだ
ウイルスなのか、観念なのかわからない
集団意識のようなもの
いや、そうだ はっきりさせるのはいい
わからないものを、わかるようにする
そうだ
けれどわからない
そういう領域はある
わからないものに どう対するか

言葉が槍となって歩く
雑草が踏み潰されているが、そこには血がついている

お前に見せるものはない。……聞かせる言葉もない。ぼくは縮こまっているんだ。ちくしょう。
憎しみが伝達されない、聞き入れられないことは恐怖だ。
そこではチャンネルが改変され、結局改造されるのは良心をもつ脳だけ。

そんな世界認識を、集中から解き放つ
くわばら

2022年5月11日の詩


1

題名もなく なんとなく これけっきょく どうし……たらいいか
どうし……たらいいか
 いいか

けっきょくどういうことを言いたいんですか、書きたいんですか
それともそういうものは、ないんですか
……ともなる

なんだかなあ

「書く」……とセットで、「読む」というのがあって、それは
……やたらとした超自我

ぬう

■

ふざけんな なめんな
 A
  Z
Z の名字が、やたらと暗示的なので
……ふう

■

わかってもらいたくない。それがわかった
わかってもらいたくない……というのは不幸だな
きっとなにかが間違ってるんだろう

ドウイウコトダ サア ソレハ ワカラン

奉仕の気持ちを疎外すれば、なにも言わなくなっていく自然
そんな自然状態に ぽつねんと居座るでしょう



2

それならそれで……いいので。

! !
!

かなしいなあ
……そうかあ。



2022年5月10日の詩


けっきょくね・・・わかんない
この抵抗のさきになんかあるんだろうか
無で
無でいいんですよ
くそ・・・この反転のさきになにが

殺すべき対象と一体化してしまったら
倒すのできなくて 生かせない
そんなことが おきた

ずれていく
おそるおそる つかう
そうだったか

どうにかこうにかわかってもらいたい
とか
ちがうな・・・いや
じゃない
・・・じゃない、ってのは
なんとか、かんとか、いって
でもそのあとに、じゃない っていう
のはある

でもその じゃない は
あんまりその後の自分を元気づけない
(のはあきらかだったので)
ぼくは あんまり いつも
乗り気じゃない

じゃない じゃない、じゃない
いや・・・ちがうって
って

■

うーん。。。



2022年3月6日の詩


混沌と、なかのほう

すべてが すべてに 勝るので
勝ったほうが 正しいですよ
という
ルールですよ

わかりましたか?
わかったなら「はい」といえよ
はーーい
きこえねえよ
はあああい
はっきりいえよ
はーあーあーあーあいい
よしじゃあちゃんとしっかりやれよ

■

そんで、ぼくたちは、たたかったのです。強かった。ぼくたちは強かった。相手もそこそこ強かったけど、ハートが弱いね。だってぼくたち、ハート激つよだもん。負けるわきゃないっしょ。ね。つよーーいよ。うん。

ハートにはハートで勝負なんです
負けるか勝つかはハートなんです
ハートで 戦う と すぐわかる
勝敗
ほら、すぐ、みんなの応援がおおかったほうが、勝ちになるよ。応援は、ハートだよ。元気玉、わけてくれ!

■

((元気玉? おれはここでなにを書いている……。元気。「元気」。ゲンキ トハ イカニ。))

……

遠景と 近景で、別れ道があって、おれは、すうっと、「いいふんいき」のほうにいっちゃうんだなあ。
それがおれの弱さかいな
じゃほうへい じゃほうへい
うんがらじゃ ぼびい

それでもさ、弱くてもさ
みみっちくてもさ
「構わず進むよ」 ってんで
へい へい
んじゃら ぴい

ご迷惑 というより
ムセキニン な
ワタクシ ごと の
あれやこれや

……

落ち着け。落ち着け。

((整理しよう。整理しよう。1.わたしはここにいる 2.あなたはそこにいる 3.みんなそこここにいる 4.世界はある 5.過去はある 6.未来もある 7.いまという現在はある))

……

詩の言葉がつかまらない。無限に、有限に、わたしは、身体とともに、この脳髄の(加熱)とともに、進む、生きる、息する、のだが、これがなかなかうまくいかない(なあ)。ね。(ああそうか、こういうごまかしか)でも、言葉はつねに裏腹の反語をつれてくるので。(それは不安だなあ)でも、心配ない。身体のほうが、細胞が、知ってる。畳に座ってひじをつけて、畳の目にひじがくいこんで、ちょっと痛くて、そんな神経を思い出せば暴走はふせげるのだ。とはいえ、身体と脳髄の離反は考えものだ。課題だ。合理的ではない。(でもまあ、人間なんて、そんなもんっしょ。AIじゃないんだからさあ)ワタシタチハ えーあい に なりたいのだ。といってもなあ。感情があるし、いろいろ、重たいよな。

■

こどもたちが てろりすとになって こんどこそ ぜんせかいを すくいます。
そうです ほんとうの ことをするために こどもたちは てろりすとになって あくを やっつけます。
じゅんすいな もののために こどもたちは あくをやっつけるために みずからもあくになって ぎせいとなります。
このせかいに あくは ひとつではないので みんながあくをやっつけても あくはのこります。
だから こどもたちは みんなてろりすととなって すべてのあくを やっつけるために たたかうのです。

……

悲しみの向こうにあるのは、つかのまの救済と、興奮と、おあつらえ向きの祝福だけで、そのあとのことなんて、みんな考えてないさ。
虚空にほうりだされた子どもたちは、なにを思うの

ぼくは

—--

……。



2022年3月2日の詩


セ セ カイケ、イ?

あなた と いっしょ に いると
めっちゃたのしい!!!!!
 (((ト ナンデモ イイカノヨウニ イッチャウノ ハ シンヨウナラネエ)))

バ バ バ バ

くずのように 世界が
  くずれ
 おちた世界は
右へならって ぼくにならって みんなならって へへへのへ
 へい



2022年2月25日の詩


せ せ?

散文ではいえない
  ((セカイ ほうか  いいい )))

転換 が  おこなわれて、すぐに → ほい!

右にいくんだ おれたちは 右にまがる・・・
hahaha hahaha
ここで 出会う
終焉 シュウエン ま  で …………


2022年2月18日の詩


愛の詩

「愛とはなにか」

((そんなおあつらえ向きの問いを発出しやがって、見せしめ野郎……
((なんでい、文句あっかあ このへんくつ玉すだれニンゲンめが

愛とは なにか
なんだろう
いつも(自分のほうが)「まちがっていた」 と
 (つねに) (こころのなかで) (おもってしまう)
のを
 〝 怖れないで 〟
   いつでもたずさえている
、 運動


かけがえのない 相手 が
 かけがえのない 自分 が
同時になにかをおもってしまう
そのつど、
 すれちがったり (ささくれ)
対立  の、
演劇をしたためてみたり、する

だけれど

相手 は  自分 であり
 そのなかに
    中心 に
じぶんとおなじもの
 たいよう
  はな
   つき
    ……地面の、みず
が
溶けて まざって いっしょになって
そら に
かえる
((蒸発する、水蒸気 天に もどって くも そこから、 雨))

わたし ぼく おれ
きみ あなた おまえ
だれだれ だれそれ なになに うんぬん……
愛が育つと、愛に水をやるために ジョウロが必要に なってきますね
そいつあそこらに売ってないけど 知り合いに頼めば、こしらえかたを教えてくれますよ
うん そうや 自分でつくるんや
つくるんや
そう  つくるもの
手はひとり だけかい?
 ふたり ぶんの ことば て くち はな あたま まなざし
ずっと遠くまでひとりでいける
でもふたりでなら もっと遠くに しらない ぼくもあなたもしらない
 未知なるせかいに もぐる
愛は 未知で
 ぼくは あなたをしらない
あなたがしらない ぼくも ここにいる
たがいの しらない おたがいが
そのひみつを 交換して 愛は
ぼくたちをつれて ゆく
ずっととおくの せかい
ぼくたちがうまれたばしょ へ


2022年2月12日の詩


生成変化

精神の細胞が 泡立って
おまえのものと 結合されて
おれもおまえも しらなかった
あたらしい 人間になる

そのあたらしい人間は
おれとも おまえとも よく似ていて
そのどちらとも なかよしだ
やがてあたらしい人間は
べつの新しい人間と出会い
また さらに新しい人間を つくる

つくられてきたものだ おれも おまえも
またあたらしく つくるのだ
その連続が 世界であり
おれたちは世界に つくられ
世界はおれたちに つくられる

どこかに切れ目が あるんじゃなく
ぜんぶがまるごと つながっている
ひとつをしることは ぜんぶをしること
おまえを しることで おれは
この世界を しるだろう
おまえに流れてきた 人間たちは
おまえをつれて またさきへゆく
ああ おれも つれていってくれ
死のさきの えいえんへ
いきつづける 過去と未来へ


とまって、入る

あなたが洗面台に 腰かけ
……わたしは……ケンカのあと味に、くるしんで。

うーうう ううう うう う

((速度はとまって 停止した心をスケッチして 描いたのは))

悪い生活
でもそれは
二重生活
というものに なり うる
そう思えた

ぼくはきみに
つたわるように
かいている

なぜかくか
ぼくはきみに
つたえたかったことを
つたえられなかったことを
つたえるためにかいている

言葉も 現実も ものごとをわけていく
なにもかも
はなればなれ
いいかい? いいかい?
手をつないでいいかい

心の スケッチは 停止しているから
そこでだけ えがける
ある ある ある
ある ものを
えがく


2022年2月11日の詩


うううま ほ ろ ば

主体をですね、考える ってんでそんな手つき。んで詩っていうのはですね、適当な井戸掘りなんで。あてはないんですよつねに。
それでいいんですからね

……う……うう……ん……

〈意味〉と〈価値〉とを分けるんですよ。それがないなら……いやあなたにはそれがない、って話なんだとおもいますがね。
分け目がない、ってんなら、それあごっちゃ煮、なんで。
ごっちゃ ごっちゃ なんで。
てやんでい お近づきに、なりがたくも感ぜられ よ  。

ごっちゃ ごっちゃ

あら? そうねえ、ぼくねえ、うーんと、これを説明するんはたいへんだなあって おもうんよ
たいへんだなあ へんたい たいへん へんたいへん
うーん
うーん
そうだなあ

■

主体、ってんで、なんのこっちゃ。いまこの21世紀にね 整理しますと インターネットは ドリームキャストからはじまってるんですよ。ぼくの世界では。ね ドリームキャストで テレホーダイで そんでね、 深夜の時間帯で びーびーぴぽぱ とね 接続すんのよね ISDNとかそんなんも使ってね だからあの コントローラーでね マウスでね まあ ヤフーのカテゴリーからとぶの
ネットサーフィン
ネットの サーフィン
びゅんびゅん がーがー
いくの みるの
電脳的漫画論 とかね
そんでデビルマン とかね 買って読んで
みました
わたしは真悟 とかもね そうそう

■

時代と ボクラ、の (ラ) のなか に 〈段差〉 がある
〈段差〉をこえると こえてしまうと ミエナクナッテシマウ ものが、ある キガスル ので
ボク は
  〈段差〉の手前 で
自分の足と その影をみている

キミ は
もう向こうのほう に さっさ、と 渡ってしまって
 この 〈段差〉
の 隅づたい 
 に
蟻が這ったのを知らない

✄ - - - - - - - - - -✄ - - - - - - - - - -

すべてが……数値で……判定されているというかなんというか……おっかなくて言及できねえ……プラ……プラ……プラスティック……じゃなくて……プラットフォーム……なんでしょうか……その……この……す……すうち……数値はいまいくつですか?……お……お……多いですかすくないですか……そ……そのような……質問は……禁句で

す。

✄ - - - - - - - - - -✄ - - - - - - - - - -

主体は はなむけ の言葉を 失ったもののほうへ 投げやる
主体は ボク は 失ったものを まさにいま 失おうとしてる 自分自身を かこつ
ボク は 祈る 失う 先をこされる 負けて さようなら 別れ ちゃっかりと手にし すましてポケットにいれる

分別されるもの 分別 されないもの ボク は
 混乱
をかこったまま
  遠ざ からないで
ひと つ ど ころ にとど  まっ て  い
る


2022年2月10日の詩


ほんとうはね

そこいらにあるのにそこいらにない
くもんくもんくもんの表情(ぼくはかくれてみて〝いない〟よ

そうかい(あかい

どうにもきになるの……は…… あのひとの、さいごにいいのこした、セリフ……なんだが……
ウソばっかりがはびこってるけど、本音? どうなってんのおお おうい、(フトコロガタナ
  がうっと  ホンネ  えぐっと  おういおうい

身体を傷つけなければ(性的に)わからない領域野 が 媒介 は あなたmediumあなたの神が降り立つあなたの脳髄(の無信仰)なので、つまり…… つまり、なにがいいたいかっていうとお、つまり、、、
つまり、

つまり
あなたは、あなたの、ホンネなんてしらないんだから、あなた は 社会のルールに従ってればいいと、そうおもいます

そうなんだって?
((反論 反論 反論 反論))してください))))

★━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━★

でもね。えぐい 人差し指が欠け落ちたから、代わりに中指でいじくるんだけど、それじゃあ手詰まり感があるのよね
   「そうねえ」
でもそんなことばっかいってらんないじゃん? やっぱ、やる気あるかないか、判断されちゃうのが世の中の、フォーマットで、わたしたち、もっとうまく乗りたかった、じぇっとこーすたー なのに、 遊園地 には大人がいっぱいいて とっても きもちがわるかったの
   「そうかあ」
かわいいの、これ この 耳飾りが 耳にあうの 耳かわいいの かわいいから すき だから わたしわたしすきなの いいの それ がいい それでいたい わたしわたし わたし いたい
   「うん。いいとおもうよ。それでいいとおもうよ。いいとおもうよ。うん。いいよ。いいよいいよ。うん。いいよ」
   「いいよいいよいいようんいいよいいよいい いいよいいよいいようんうんうん う うんうんいいよおいい」

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ほんとうは
きにしてほしかった
   の
いまとなってはさびれたネックレス
かけるのがわたし じゃなくて
かけられるのが わたし
なのだから
ほんとうは ほんとうは ほんとうは ほんとう
は

★★★★★★★★★★ ★  ★★
   ★ ★ ★★   ★★  ★


くつの裏についたドロ(みたいな屈強さで)

どうですかね どんな感じですかね 評定されるのはいやなんですが…… くそ わかっているのに立ち向かわなきゃならないなんて ナンテ くそ どうしたってそうなっちまう……
エギ エギ エイイイイ イイ

■

〝ひらいて〟いかなくてはならない のだ よね もっぱら ね 粉コーヒー熱湯いれて急いで飲んだら熱くてかなわん、ので 舌があちち しびれて しまった後なので もっぱら かき混ぜて 多少の眠気 を ふっとばして かなわん が 前進を かこつけなくてはならんので

■

悪い生活である。真実は、書きつけられないので お母さん 無口なままの幼少期にならって 「ごめんなさい」 を 早口でまくしたてるシシクラくんにどやされた、思い出

——あのドブ池にもぐった、打ち捨てられた冷蔵庫 に 舟にみたてて のように 乗って転んで 大騒ぎ うわーん おいどうしてくれんだよ 泥だらけ、の、服 シシクラくん、お母さんに、怒られるってよ。そうかあ、そうかあ

なんであのとき 涙 なんて出なかった が シシクラくん は 嫌われていたのか ぼくは 嫌われているひとを嫌いたくなかった 、という ナルシシズムの味 がした あのドロ池につかると 腰まで 首まで ドロとともに 土色の勲章がついた

((誇るのか? 誇ると 誇ると イケナイ 自分を カラスのかあかあ鳴く声と同期して 自分が あのとき複数になった))

■

どうしてかわからない けど 悲しい味がした。 きみに つたわるかなあ
コーンスープの沈殿した底の粉
あなた
熱い湯のなかで たぶんうまれる
  寸前で消化した、契約の交換

あと少し あと少し
あと少しで いわゆる「ゴール」なのに
そのあと少しがやってこない
永久の遠ざかる歩調のなか
足の裏には地雷がくっついている
そうだ
ニンテンドー64で
何度も仕掛けたおれのリモコン爆弾だった
攻撃力のリモート化は
ディスプレイ分割を盗み見して万能たる
おっしゃしゃしゃしゃ
やるもんならやろう
ってててて、て てい
いい気になった罪悪感のあと
ぼくら、バスケットボールで突き指する
こめかみに壇上からつま先蹴りする
マツモト先生が
トミザワくんを蹴り飛ばした速度で
いまもあらゆる物流はまわっています
ぼくらは
加害者です
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