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4月28日(日)
- もっと週に一回程度は、ここを更新していきたい。
- なんのために? いや、記録していたい。
- 永久に残るようなもんじゃないよな。ウェブサイトなんて、契約が切れるか、大元の会社がつぶれたら終わりだ。データは儚い。
- 「現実をつくる」が2024年の抱負だった。現実をつくるために動く。練る。学ぶ。
4月19日(金)
千葉の
A 千葉には排他性というのか、いや「排他性」というんじゃないな、よそから来た人への「無関心」がある。
B ち、そうか。ときたま対バンの人に「千葉はむずかしいね。反応があまりない」と言われることがあるんだよ。どういうこっちゃ。
A 千葉駅前は空襲があったから、戦前と歴史が断絶している面がある。そのへんの影響もあるんかな。歴史意識、ひいてはアイデンティティがどうも希薄というのか、空虚さあるというのか。だから「よその人」を歓待できない。
B 地方都市。郊外のメンタリティ。「自分の街(千葉、地元)」と「東京」と「その他」の3つしかカテゴリーがない。県外から来た人の地域性とか、その人の暮らしぶりとか、興味がない。「東京か、千葉か。その往復」しか頭にないんだ。
A それは俺の自己批判、ないし反省でもあるかもなあ。若いころは、バンドで対バンした地方の人らにも、関心をもたなかった。自分のことしか頭になかったね。
B 本来は、まず地元意識を醸成するために、「千葉の固有の歴史性」をつくるべきなんだ。特にいまに通じる近現代の。空襲があったことは重要なことのはず。そういうことがらも、オミットされて、「千葉ってぱっとしねえなあ」みたいな、東京へのコンプレックスをぼんやりつのらせるだけの空気感なんだ。そのへんの内省をしていきたいやね。
A とにかく、「千葉はむずかしいね。反応がうすいね」とはいわれたくないもんだ。どうすればいいのかな。自分から率先して、空気をつくっていくことかな、まずは。
B お前みたいな野郎にそんな期待ができるかよ。ま、やってみせいや。
ブルース・スプリングスティーンがどうたら
A ブルース・スプリングスティーンって、好きなの?
B そこそこ聴いたさ。日本人ミュージシャンにも影響を与えてるしなあ。尾崎豊とか浜田省吾とか佐野元春とかあのへんだ。
A 「いまブルース・スプリングスティーンを聴く」って記事が一週間前くらいにネットにあがっていた。
それを読んで思ったのは、もし、労働者に主体性があり、俺がそれに該当するなら、ブルース・スプリングスティーンのようなミュージシャンを持ち上げるのはやめとこう、ということでした。
B ははは。なにを怒ってるんだよ。いいじゃないか、ボス。最高だよ。
A 俺はついていけない。だめだ……トランプが再選したら移住する、と書いてあったが、ほんとうにそうしてほしいと思うくらいだな。しかし、ブルース・スプリングスティーンの情報は日本であまり入ってこないので、よくわからない面もあるが。ただ、現在の政治性のひとつの象徴にように見える。
B チケット代のニュースは「おお」って感じだったからな。チケット価格が需要によって変動する仕組みって、すごいよな。
A なんにせよ、俺としては、共感しないんだ。俺たちはもっと草の根の、地道な活動をやっている。こっちのほうがよっぽど「労働者階級との繋がり」を、実質的にも思想的にももってるだろうって。俺がいいたいのはそこなんだ。これからもっとがんばんなくちゃな。
A 千葉には排他性というのか、いや「排他性」というんじゃないな、よそから来た人への「無関心」がある。
B ち、そうか。ときたま対バンの人に「千葉はむずかしいね。反応があまりない」と言われることがあるんだよ。どういうこっちゃ。
A 千葉駅前は空襲があったから、戦前と歴史が断絶している面がある。そのへんの影響もあるんかな。歴史意識、ひいてはアイデンティティがどうも希薄というのか、空虚さあるというのか。だから「よその人」を歓待できない。
B 地方都市。郊外のメンタリティ。「自分の街(千葉、地元)」と「東京」と「その他」の3つしかカテゴリーがない。県外から来た人の地域性とか、その人の暮らしぶりとか、興味がない。「東京か、千葉か。その往復」しか頭にないんだ。
A それは俺の自己批判、ないし反省でもあるかもなあ。若いころは、バンドで対バンした地方の人らにも、関心をもたなかった。自分のことしか頭になかったね。
B 本来は、まず地元意識を醸成するために、「千葉の固有の歴史性」をつくるべきなんだ。特にいまに通じる近現代の。空襲があったことは重要なことのはず。そういうことがらも、オミットされて、「千葉ってぱっとしねえなあ」みたいな、東京へのコンプレックスをぼんやりつのらせるだけの空気感なんだ。そのへんの内省をしていきたいやね。
A とにかく、「千葉はむずかしいね。反応がうすいね」とはいわれたくないもんだ。どうすればいいのかな。自分から率先して、空気をつくっていくことかな、まずは。
B お前みたいな野郎にそんな期待ができるかよ。ま、やってみせいや。
ブルース・スプリングスティーンがどうたら
A ブルース・スプリングスティーンって、好きなの?
B そこそこ聴いたさ。日本人ミュージシャンにも影響を与えてるしなあ。尾崎豊とか浜田省吾とか佐野元春とかあのへんだ。
A 「いまブルース・スプリングスティーンを聴く」って記事が一週間前くらいにネットにあがっていた。
それを読んで思ったのは、もし、労働者に主体性があり、俺がそれに該当するなら、ブルース・スプリングスティーンのようなミュージシャンを持ち上げるのはやめとこう、ということでした。
B ははは。なにを怒ってるんだよ。いいじゃないか、ボス。最高だよ。
A 俺はついていけない。だめだ……トランプが再選したら移住する、と書いてあったが、ほんとうにそうしてほしいと思うくらいだな。しかし、ブルース・スプリングスティーンの情報は日本であまり入ってこないので、よくわからない面もあるが。ただ、現在の政治性のひとつの象徴にように見える。
B チケット代のニュースは「おお」って感じだったからな。チケット価格が需要によって変動する仕組みって、すごいよな。
A なんにせよ、俺としては、共感しないんだ。俺たちはもっと草の根の、地道な活動をやっている。こっちのほうがよっぽど「労働者階級との繋がり」を、実質的にも思想的にももってるだろうって。俺がいいたいのはそこなんだ。これからもっとがんばんなくちゃな。
4月3日(水)
昨夜は千葉ANGAのバー営業で飲んでいた。三年前、店の元PAスタッフだった岩田豊さんが亡くなり、それから毎年四月二日に偲ぶ会をやっていた。僕が店長ナオミさんに「コロナ禍で亡くなり、お葬式にいけなかった人もいるきがする。なにかできないかなあ」と相談したのがきっかけだった。
おととい、お墓参りにいった。墓石をみつけ、地面付近に彫ってある日付をみると、命日は二日ではなく三日であることが判明した。どうもどこかで情報が間違ったままつたわったのか、勘違いがあったのか、とにかくそのまま命日がずれていた。やばいぞ、と思ったけどもう今年はしかたないので、来年からなおそう、ということにして、あとはこれをどう言おうかな……と悩んだけど、普通にツイッター(X)でつぶやいた。裏アカにしたけど、表アカのほうがよかったかもしれないなどとまた悩む。
とはいえ、飲み会自体は楽しかったし、きっと豊さんも笑ってゆるしてくれるとおもう。信じる。「沼田〜たのむよ〜」という声が聞こえてくる。すみません。
久しぶりの人と会えたのはよかった。十代のころを思い出した。だからか飲みすぎて、酔いつぶれた。
人がいて、つながりがあって、だから「ライブハウス」は素敵な場所だ。その「つながり」は、死んだ人になっても、つながりつづけるものなのだ。
そんなことが言いたくて、そう信じたくて、なかなか、毎回「どうすればいいんだろうなあ」と悩むところが多いんだけど、「なにもやらないよりなにかやろう、やったほうがいい」と思って、微力ながらイベントをさせてもらった。僕は言い出しっぺで、ブッキングふくめ多くはナオミさんの力だ。
でも、この日にイベントをやってたことで、豊さんを思い出す時間がつくれた。はじめて出会った旧ANGAの移転パーティのとき。いつも笑顔でしゃべってる、その声。四谷フォーバレーでPAしてもらったとき。思い出して、それが供養や弔いになるとおもうし、その時間を通じてライブハウスは、より紐帯を深めて、もっと「ライブハウス」「生きる場所」になる。
やっぱりもう一度、音を聞いてもらいたかった。もっと満足させられるような演奏を……それが心残り。同時に、いまから、弔いの関係があれば、音を届けられると信じたい。僕がそういう人間になれるかだ。それが自分の課題だ。「できている」から言ってるんじゃなくて、「できてない」から書いている。豊さんに、まだ返せていないきがするのだ。
おととい、お墓参りにいった。墓石をみつけ、地面付近に彫ってある日付をみると、命日は二日ではなく三日であることが判明した。どうもどこかで情報が間違ったままつたわったのか、勘違いがあったのか、とにかくそのまま命日がずれていた。やばいぞ、と思ったけどもう今年はしかたないので、来年からなおそう、ということにして、あとはこれをどう言おうかな……と悩んだけど、普通にツイッター(X)でつぶやいた。裏アカにしたけど、表アカのほうがよかったかもしれないなどとまた悩む。
とはいえ、飲み会自体は楽しかったし、きっと豊さんも笑ってゆるしてくれるとおもう。信じる。「沼田〜たのむよ〜」という声が聞こえてくる。すみません。
久しぶりの人と会えたのはよかった。十代のころを思い出した。だからか飲みすぎて、酔いつぶれた。
人がいて、つながりがあって、だから「ライブハウス」は素敵な場所だ。その「つながり」は、死んだ人になっても、つながりつづけるものなのだ。
そんなことが言いたくて、そう信じたくて、なかなか、毎回「どうすればいいんだろうなあ」と悩むところが多いんだけど、「なにもやらないよりなにかやろう、やったほうがいい」と思って、微力ながらイベントをさせてもらった。僕は言い出しっぺで、ブッキングふくめ多くはナオミさんの力だ。
でも、この日にイベントをやってたことで、豊さんを思い出す時間がつくれた。はじめて出会った旧ANGAの移転パーティのとき。いつも笑顔でしゃべってる、その声。四谷フォーバレーでPAしてもらったとき。思い出して、それが供養や弔いになるとおもうし、その時間を通じてライブハウスは、より紐帯を深めて、もっと「ライブハウス」「生きる場所」になる。
やっぱりもう一度、音を聞いてもらいたかった。もっと満足させられるような演奏を……それが心残り。同時に、いまから、弔いの関係があれば、音を届けられると信じたい。僕がそういう人間になれるかだ。それが自分の課題だ。「できている」から言ってるんじゃなくて、「できてない」から書いている。豊さんに、まだ返せていないきがするのだ。
3月30日(土)
- 口をひらいておかないと、そこに自分の気づきというのか、違和感というのか、自意識が生じてこないので、書かないといけない。書かないでいると、自分の主体性がそのうちに逃げていく感じがする。じっさい、言葉が煮詰まる、もたる、のろくなる。
- そういう自分の状態を感じると、「書こう」、となって、億劫でなければ、そうする。いまは、それほど億劫でないので、書く。
- 書く、ということと、歌う、ということの、そのあいだにある断絶。その問題。
- 書くほうは自分に向いていて、歌うほうは他人に向いている……ように見えているのかもしれない。
- 「自分の責任について考えてください」「はいわかりました」「ああいう歌をうたってるんだから、有責でしょう」「そういうことです」「歌は、役に立たない。それでも、歌わなければならない。有責だから、歌う。どういう風に考えたか。現実の事象について歌う。現実世界のなかで、他人の役に立つ実際行動をとろうともせず、ただ歌をつくってうたっただけ。それでなんになる? それが責任だ。そこには、自分の責任がある。自分が自分であるという責任だ」「おあつらえ向きのようだね」「ああそういうことだ」
- というわけなんで……
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歌うだけじゃ世界はつくれない/好きなことをやるだけじゃ社会はつくれない/けど祈ることで人は自分をつくる/人間関係から解き放たれる/一瞬/平和をつくるにはなにが必要だ?/忘れることが必要だ/忘れるだけじゃ平和を維持できない/平和をつくることを忘れる/逃げるだけじゃ平和を守れない/その他もろもろ……
✎﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏
きのうのライブはどうだったろうな? さすがの対バンのパフォーマンスに刺激ももらった。自分は、「C」面についてもっと真剣に考えて表現に仕立てないといけないと感じた。考えるだけで終わらず、他人につたえる表現に昇華させないといけない。音楽やライブの演奏にとどまらず、さまざまな方法があるだろう。音楽に限定させないほうがいいなとも感じた。同時に、音楽そのものが「C」面にひらいていないとなとも思った。
✎﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏
▼最近の考えるテーマ
- 「日本のチャイルディッシュ」について
- 日米の文化の比較
- 「C」の問題
- 階級の問題
3月23日(土)
- 久しぶりの日記になってしまった。なにかエナジーが分散してしまっているような……。「Xもそうだしな」「朝起きたらモスクワでテロが」「コンサート会場か」「痛ましい。すぐに映像がネットにあがる。SNSでそれを見る。これは、なんだ?」「一瞬でポルノグラフィーに堕ちる」「
2月26日(月)
ウクライナのドキュメンタリー番組をみました。寝て起きて、なんとなく重たい気分で、こないだ聞いた知人の話があまりにも重くて、それをひきずっていたのかな……とにかく、寝間着のまま、「後で見ておこう」とブックマークをつけておいたドキュメンタリーを数本みました。
あまりにも重い話です。わたしには想像もつきません。ですが、日本でも、みなが「平和だ」と言っていても、じっさいのところ、戦場はあるのですね。「地獄」はあるのです。ただ、知らないだけです。戦争報道は、報じられてそれを目にすれば、認識できる。でも、わたしたちの身近な「地獄」はなかなか認識できません。それどころか、一度も口にされないまま闇に埋もれたきり、表に出てこない。
わたしは、「平和」だったのは自分だけで、「日本」が平和だったわけでもなんでもないことに、いまさら気づきました。いや、その「自分の平和」というのもじつは仮りそめで、少しほじれば戦場にいきあたるかもしれませんが。わたしは自分というものもよくわからないのです。ただ自分の「地獄」を、アッピールしようとは思いませんでした。
本当に重たいことは、なかなか口にできません。言ったところで、どう受け取られるかもわかりませんし。嫌ですよね、ぞんざいに処理されたら。わたしは、その意味で、他人を信用していません。自分のことも信用していません。誰かの頼りになるとか、相談相手になるとか、大事な秘密を打ち明けるに値する人間だと思いません。そんな人間は、めったにいない。わたしはそんな立派な人間じゃない。
「言葉にする」ことの大事さをテーマにしたドキュメンタリーがありました。ウクライナで、『戦争語彙集』という本が出版されたのですね。全編は視聴せず、つまんでみただけですが、たしかに、自分の体験や思いを言葉にするのは大事なことです。気が楽になります。ささいなことのようですが、「そんなことはささいなことだ」とタカをくくれるのは、じっさい、平和な日常に暮らしているからかもしれません。きっとそうです。切実に言葉を求める人がいる。必死の思いを声にする。言葉をつくり直す。人間にとって、とても大事なことです。わたしにも、それはわかるような気がしました。
それから、軍に料理を届ける料理人の話。後方支援、うまい食べ物をつくり、食べてもらう。これも、自国の戦争への貢献なのですね。
こういうことを書こうとすると、「戦争協力」という語彙が、わたしのなかでひっかかってしまいます。案外、料理の話がいちばんむずかしいかもしれない。感想を書くのがむずかしい。
いいドキュメンタリーでした。戦争のドキュメンタリーは暗く重たいけど、あの番組は明るい印象をのこして、さわやかさがあった。日本のラーメンも出てきました。香川県でつくられたという製麺機も登場します。意外なところで日本とのつながりが出てきて愉快でしたね。
戦争は悪だ。戦争なんてないほうがいい。でも、起きてしまった戦争に、必死で抵抗し、戦い、仲間を助けるために動く人がいる。
こうやって感想を書くにも、言葉を流通させなきゃいけない。番組の感想も、まっすぐには書けない圧を感じる。それは、先行する価値観の存在だ。「戦争協力は悪だ」がある。日本の過去の戦争の記憶がある。
だから、じつはこうやって書いていても防衛的になっていて、料理と戦争の関係を案じるのです。たぶん、番組制作者もそれをわかって、「戦争の善悪」とは異なる視点から編集していたと思う。
「政治」ではなく、人間の暮らしや、人と人との関係にフォーカスする。料理は、苦しんで、ストレスに耐えて、ときに命を落とす軍人たちが、ひもじい思いをしないためにつくられる。そうやって考えると、あの番組の裏テーマは、「政治的正しさとは別の価値を伝えること」にあったかもしれない。
「食」は、国境も越えるんだろうなと思います。
……いま、想像を許されるとすれば、もしあの料理が、捕虜となったロシア兵に提供されたなら、その瞬間には、もしかしたら国家間戦争を越えた、もしくは忘れたような、ほんの一瞬がありうるかもしれないなあ……
そんな「生ぬるい」「甘い」想像をうながす効果が、たしかに料理にはあったようです。
あまりにも重い話です。わたしには想像もつきません。ですが、日本でも、みなが「平和だ」と言っていても、じっさいのところ、戦場はあるのですね。「地獄」はあるのです。ただ、知らないだけです。戦争報道は、報じられてそれを目にすれば、認識できる。でも、わたしたちの身近な「地獄」はなかなか認識できません。それどころか、一度も口にされないまま闇に埋もれたきり、表に出てこない。
わたしは、「平和」だったのは自分だけで、「日本」が平和だったわけでもなんでもないことに、いまさら気づきました。いや、その「自分の平和」というのもじつは仮りそめで、少しほじれば戦場にいきあたるかもしれませんが。わたしは自分というものもよくわからないのです。ただ自分の「地獄」を、アッピールしようとは思いませんでした。
本当に重たいことは、なかなか口にできません。言ったところで、どう受け取られるかもわかりませんし。嫌ですよね、ぞんざいに処理されたら。わたしは、その意味で、他人を信用していません。自分のことも信用していません。誰かの頼りになるとか、相談相手になるとか、大事な秘密を打ち明けるに値する人間だと思いません。そんな人間は、めったにいない。わたしはそんな立派な人間じゃない。
「言葉にする」ことの大事さをテーマにしたドキュメンタリーがありました。ウクライナで、『戦争語彙集』という本が出版されたのですね。全編は視聴せず、つまんでみただけですが、たしかに、自分の体験や思いを言葉にするのは大事なことです。気が楽になります。ささいなことのようですが、「そんなことはささいなことだ」とタカをくくれるのは、じっさい、平和な日常に暮らしているからかもしれません。きっとそうです。切実に言葉を求める人がいる。必死の思いを声にする。言葉をつくり直す。人間にとって、とても大事なことです。わたしにも、それはわかるような気がしました。
それから、軍に料理を届ける料理人の話。後方支援、うまい食べ物をつくり、食べてもらう。これも、自国の戦争への貢献なのですね。
こういうことを書こうとすると、「戦争協力」という語彙が、わたしのなかでひっかかってしまいます。案外、料理の話がいちばんむずかしいかもしれない。感想を書くのがむずかしい。
いいドキュメンタリーでした。戦争のドキュメンタリーは暗く重たいけど、あの番組は明るい印象をのこして、さわやかさがあった。日本のラーメンも出てきました。香川県でつくられたという製麺機も登場します。意外なところで日本とのつながりが出てきて愉快でしたね。
戦争は悪だ。戦争なんてないほうがいい。でも、起きてしまった戦争に、必死で抵抗し、戦い、仲間を助けるために動く人がいる。
こうやって感想を書くにも、言葉を流通させなきゃいけない。番組の感想も、まっすぐには書けない圧を感じる。それは、先行する価値観の存在だ。「戦争協力は悪だ」がある。日本の過去の戦争の記憶がある。
だから、じつはこうやって書いていても防衛的になっていて、料理と戦争の関係を案じるのです。たぶん、番組制作者もそれをわかって、「戦争の善悪」とは異なる視点から編集していたと思う。
「政治」ではなく、人間の暮らしや、人と人との関係にフォーカスする。料理は、苦しんで、ストレスに耐えて、ときに命を落とす軍人たちが、ひもじい思いをしないためにつくられる。そうやって考えると、あの番組の裏テーマは、「政治的正しさとは別の価値を伝えること」にあったかもしれない。
「食」は、国境も越えるんだろうなと思います。
……いま、想像を許されるとすれば、もしあの料理が、捕虜となったロシア兵に提供されたなら、その瞬間には、もしかしたら国家間戦争を越えた、もしくは忘れたような、ほんの一瞬がありうるかもしれないなあ……
そんな「生ぬるい」「甘い」想像をうながす効果が、たしかに料理にはあったようです。
2月10日(土)
- 裏アカでいろいろつぶやく。なぜこんなことをポストしてるんだろう? 自分で自分を見る。自分で自分がわからないから、と知る。自分がわからないんだな。それで、裏アカをつくっても、余計わからないわけだが。
- 自分の非実在感。自己の分裂。分裂させて、それで自分を新たにつくっていくような。自分の手で自分をつくる。そうしないと、勝てないぜ。勝つ?
2月1日(木)
- くだらないなあ、と思う。どうしてそうなった? 自分自身の、人間精神を失ってしまった。実存の精神を。重みを。重たい精神を。書くことを。書かないとだめだ。なんにせよ、なにかをごまかそうとも?
- 戦争のメタファーでどうも考えてしまう。専門的で知的でアカデミックな様式なんて、ぼくは知らない。そういうものを気に留めない。たまにつっこまれる。「つなげるな」と。そういうものか、と半ば驚く。自由に連想していく。考えることは、自由だと思っていた。
- 行ったばかりの珠洲の町がめちゃくちゃになっている様子は、ショッキングだった。正月から、災害報道を追った。そのとき起きている精神のありのままを、記述する責務を果たせていない。ありのままに書かないといけない。受け取られようは、第二義的なものだ。そういう態度こそ、容認されなくなっているが。
- つまりSNSは、「伝わりすぎる」。わかりやすすぎる。長文で、「よくわからない」ぐちゃぐちゃした文章(これのような)は、「わからない」から、自分にもわからないものへ接近できる。それだけが有意味のようにも思う。
- つまりSNSは、「伝わりすぎる」。わかりやすすぎる。長文で、「よくわからない」ぐちゃぐちゃした文章(これのような)は、「わからない」から、自分にもわからないものへ接近できる。それだけが有意味のようにも思う。
- ボランティアの問題は、ぼくには、「戦場」のように感じた。「ボランティア迷惑論」とは、「素人は戦場にくるな」というメッセージに翻訳されて聞こえた。じっさい、そのようになるんだろうと思った。戦争がもし、日本で起きたならば。人々は、「素人」と「玄人」をわけるだろう。玄人は上なのだ。「戦場」では、「素人」は怒鳴られようが罵倒されようが、かまってられないのだ。
- だからこそぼくは、それが嫌だった。これがぼくの感想だ。そう感想しているものはしかたない。「間違っている」と言われようが、なんのへちまもない。
- コロナ禍でも似たような感想が生じた。「専門家」というのは、要は司祭階級になる。司祭階級をつくるために、専門家の資格が要求される。ぼくらはそのような資格をもっていない。したがって勘所の議論に参加もできなければ従う以外にない。ぼくはそういうもの……そういう「体制」に調和したくない、とまず思う。
- これは「わがまま」だろうか? かといって「反体制」仕草に染まるのも、逆の意味で体制的はふるまいに思えた。
- だからこそぼくは、それが嫌だった。これがぼくの感想だ。そう感想しているものはしかたない。「間違っている」と言われようが、なんのへちまもない。
- 音楽家は「不要不急」のカテゴリなのだ。サブカルのルールを古色蒼然と守っていても、職人の技術を磨きつづけても、情のつながりを大事に調和を求めても、来るべきときが来れば、決定的な選択をせねばならなくなる。ノンポリもまた政治化される。それも含めて、現実をひっかくために、なにができるか。なにを考えればいいのか。
- 本気でやんなきゃだめなのだ。その「本気」が難しい。ルールの変更、時代の変化が、さまざまな局面で効いていて、結果、ひとびとの無気力とデタッチメントをうながす。「世界を変えるためになにができるか」と、いま、本気で問うことが可能か? そもそも、どこから、どのような場所を目指して、なにをどう変えればよいというのだろう。なにもかもが、宙づりだ。ぼくたちは、いまぼくたちがどんな地面の上に立っているか、それすらもあやふやな状況に生きている。
- SNSで空中戦は、無意味だ。かといって、現実にひきこもるのも、弱い。「現実にひきこもる」というのは逆転した言い方だが、実感にかなっている。ぼくらはもう、ネット上の情報のほうが「上位」の世界観に生きている。
- 「本気の出し方」を新たにせねばならない。どうすればいいか、不明だからこそ、考えつづけないといけない。Xに裏アカをつくった。今後、試験的に運用していく。
1月17日(水)
- こんなにコトバがあふれている時代なのだから、自分の言葉ではなく、他人の、匿名の言葉を引用して
- ヒント類。「自他の区別なく等価にならぶインターフェイス」大谷能生のツイッター論。斉藤斎藤の『人の道、死ぬと町』(これは傑作)。未読だが、山田亮太の『オバマ・グーグル』も。
- 匿名のコメントを拾う。匿名。だがそれは(その作り主は)〝匿名者〟ではないのだ。
- 新年抱負の、スマホ論、粘土やら平面の概念は、東浩紀の「触視的平面」論から発想を得ている。類似の議論はなかなか目にしないので、貴重な論考だ。「スマホ」というインターフェースを相対化し、対象化し、ぼくたちへの機械からの影響を意識化できれば、いま起きている問題、課題も見え方がちがってくる。
- 「引用」によって詩をつくる試み。これによって全体像を見せる。いまの時代の情報環境、言語環境の全体像だ。同時に、そこにおいて、自己自身がいちユーザーに過ぎなく、誰もが他ユーザーと等価の発信受信環境しかもたない。発信したら混じる。具体的には、Xならタイムラインに並ぶ「いちつぶやき」に混じる。ヤフコメでもそうだ。「書くこと」と「読むこと」が等価に近づく。これは大谷能生の指摘したことがら。
- このあたりが、とても重要に感じている。いまの震災にまつわる議論も、SNSの果たす影響はおおきい。いくら「SNSはしょうもない」と言っても無視できないのだ。したがって、別様に転換する試みが要る。
1月15日(月)
- 年明け一発目の日記になる。この間、ぼく個人のことでは、新年会イベント(千葉ANGA)があった。ぎりぎりまで詳細が煮詰められず、ひやひやしたが、結果的に成功した、とおもう。よかった。ほっとした。またやりたい。見てくれた人に感謝。出てくれたみんなに感謝。ANGA、今年もよろしく。
- 「新年の抱負」というのを書いた。正月で時間がとれたから、集中できた。なので、仕事がはじまってリズムが固まってくると、「書くこと」が後退していく。「書く自分」をなんとか維持しないといけない、とおもう。
- 2024年は、波乱の幕開けだった。能登半島地震。昨年11月に行ったばかりの奥能登が被災した。珠洲市の、アートを見て、海を見て、空いた時間にぶらぶら歩いた道が、めちゃくちゃになっている様子を見た。
- この半月のあいだに、すでにいろんなことがあったとおもう。ぼくは、被災者ではない。被災地にもいない。SNS(Xツイッター)で、様々な議論がある……ように見える。でも、二元論に基づいて単調な意見をぶつけあっているだけのようにも見える。こういうときに、なにをどう考えればいいのか。どういう構えでいればいいのか。
- いま、考えなくちゃいけない。整理づかないことを書き連ねよう。SNS(Xツイッター)の議論。「ボランティアは迷惑だ」論。即席的な言葉の応酬。
- ((なにさ。お前こそ即席の集体だろう))
- <<そうなんだ。それが気になっている。即席に応じて即席になったら、詩がなくなっている。詩のスペースが消えた。これが起きていることだ>>
- Xは現場と切れている。匿名の、共同幻想がそこにある。その共同幻想はアテンションの論理に画一化されている。なにを言おうと、どんなつぶやきをしようと、それは「アテンションの論理」に基づき数値化され、結果、損得勘定で受け取られる。一方、Facebookのほうは現場との情報接続が多くあるようだ。実名の閉じたSNSのほうが、災害時に現場活用されている。その現実がある。
- 誰もが、そのプラットフォームのユーザーとして使う限り、アテンションの論理から逃れられない。政治家のパフォーマンスは「政治パフォーマンスの有効性」として受け取られるより、「被災地を食い物に/利用している」との非難対象になる。コロナ禍で「Stay Home」で「なにもしないこと」が「善」だとする風潮が一時期支配的になったが、その影響も底にあるかもしれない。
- ((こういう語り口そのものが、なんの根拠もない、エビデンスのない、思いつきの主観の感想で、本来異なる事象を無理やりくっつけて、知的にだらしない、素人の陰謀論なんだ))
- <<そういうことを言ってのけるやつはいた。「自分の頭で考える」ことは、現在、非難の対象になるらしかった。しかし、現場性と「自分の頭で考える」ことは通じている。自分の主観で現場を見て、それで生じた自己内の感想、これが「考える」ことの重要な発火剤になる>>
- 中央に居座って官僚のもってくるペーパーを読んでいるだけでは、「判断」主体にはなっても一次情報から主観の感想を立ち上げる主体にはならない。伝言ゲームで係る媒介が多いほど恣意性のノイズは増える。みんな、自分の立場を無意識的にも意識的にも守るからだ。都合の悪いことは積極的に言いたくないし、後回しにしたい。でもそのツケはどこかに回る。たいてい低く、弱い場所にいる人々にかかる。
- 動くこと。助け合うこと。他人を信じること。その反対に、他人を疑うこと。不審者を疑うこと。デタッチメントを推奨すること、がある。
権威に寄り添って、弱者に寄り添わない……ということは、あることだろう。- ((寄り添う、ってのはなんだ?))
- <<それは依存する、ってのとはちがう。……人間は、権威にも、弱者にも依存することがある。寄り添うということがあるとするなら、それは依存とはちがう>>
- ((じゃあ依存「させる」ってことか?))
- <<いやそうじゃないが……>>
- パターナリズムが気になるんだ。勝手にやる人はいる。そのすべてを……そもそも自発的な他人を、コントロール可能だとする人間観が気になるんだ。俺はそうじゃない。そうじゃないとおもったね。
- 「〇〇は特権だ」とみんなが言い合ってる感じがあるね。
- ((俺の手元にはなにもなかった 俺は詩を失った……そんな感慨が、うざったい ばかいってんじゃねえ。こんなときに って 後ろを振り向いても誰がいるわけじゃない 誰もいない空間で みんな考えを交換しあってたようだ))
- ((俺の手元にはなにもなかった 俺は詩を失った……そんな感慨が、うざったい ばかいってんじゃねえ。こんなときに って 後ろを振り向いても誰がいるわけじゃない 誰もいない空間で みんな考えを交換しあってたようだ))