37才になった。
はじめてギターを手にしたのは14才のときだった。インターネットをひらき、「ギター初心者」用のサイトにアクセスし、長渕剛の『RUN』と吉田拓郎の『今日までそして明日から』を覚えた。いずれも簡単なコードで演奏できる曲だった。
ライブハウスに足を踏み入れ、演奏したのはそれから2年ほど経ってからのことだった。旧千葉ANGAの移転イベントに出演した。それがバンド「瘋癲野朗」の初ライブになった。
そこからいろいろあり、ひとりで歌うようになった。ひとりは気楽だが、バンドメンバーとの摩擦もふくめた人間関係の刺激はない。マイペースにつづけた。その弾き語り活動も、もう13年つづけている。
2023年の年始にはワンマンライブをおこなった。ただし、バンド「定住ボーイズ」形態でも出演したので、ほんの少しひねって「ワンマソ」とした。
その「ワンマソ」ライブの最後に「今年は音源を出します!」と威勢よく宣言した。覚えている人がどれだけいるかわからないが、けっきょく出せなかった。
そうして2024年になった。
バンドをやりはじめた20年前から、いつのまにか時代は変わっていた。あの頃はスマホもSNSもLINEもiPadもサブスクもなかった。ケータイとホームページと、mixiとブログ、そしてTSUTAYAとMDとCDRの時代だった。
情報環境が変わり、少しずつ表現の内実もやり方も変わっていった。
「見て」「さわれる」タッチパネルのスマホ。決済も交流も自己実現も音楽も映画もあらゆるものがデジタル化され、クラウド化され、数値で計算可能なものになった。
そのあたりで、すこしずつ、変化する現実と、自分のなかの中心に齟齬が起き始めた。ぼくのみならず、多くの人が「時代がよくわからなくなった」り、「ついていけなく」なったり、あるいは「どうにもなじめない」違和感をためていったと思う。
この20年の変化は激烈なものだ。けれど、「車が空を飛ぶような」わかりやすい風景の変化がないから、そもそも変化に気がつきにくい。
「みんなしょっちゅうスマホをさわっているなあ」とは思っているけども。
変化は目に見えない形で進んでいる。
昨年、11月。
日本のある有名なロックバンドのボーカルが亡くなった。その数日後、アイルランドの、やはり有名なロックバンドのボーカルが亡くなった。
SNSに追悼のコメントがあふれた。生前に撮った写真を貼り付け、思い出を添えたポストが大量に流れた。
それを見た日本の有名なテクノユニットのメンバーが、「大して仲良くもなかったヤツらが」「ここぞとばかりに」「あさましい」とコメントした。
ぼくが注目したのは、アイルランドの有名なボーカルの、その葬儀だった。
霊柩車が街をゆっくり走り、人々が歌い、おおぜいで見送る。街角で演奏がはじまる。思い思いのメッセージボードをかかげる。思い出を語り合う。
教会で葬儀がはじまり、聴衆が見守るなか、ミュージシャンたちが集まり、歌い、演奏する。知人たちが弔辞を読む。祭壇は花々で美しく飾られている。
草の根の国葬のようだった。さらに言えば、盛大なお祭りのようだった。
スマホを通した映像越しに、その場に愛が満ちていると感じられた。
■
ぼくたちの社会は、葬儀を簡易化してきた。コロナ禍でさらに顕著になった。
知人が亡くなったとき、受けた知らせのなかには「葬儀に来るのは必要最低限の人数にしてください」とあった。
追悼は、SNSのなかでしかできなくなっていた。
いや、はじめは、SNSのなかでしか「できない」と感じていたが、いつのまにか「追悼は葬儀に行ってやることではなく、SNSのなかでやることだ」と、意義を変えて解釈するようになったのかもしれない。
あのアイルランドでの葬儀を見て、日本における追悼の様子との、そのちがいを見て、ぼくは、羨ましい気持ちと、ちょっと苦しい気持ちを感じた。
単純な比較はできないが、そこには、ぼくらの社会の根本的な問題があらわれているんじゃないか、なんて思った。
こりゃあなかなか大変なこっちゃ。
SNSは、すべてを数値にする。
追悼のコメントのひとつひとつに、「いいね数」や「RP数」がぶら下がり、アルゴリズムの計算によって、バズるものとバズらないものに自動的に分けられる。
スマホのタッチパネルは、平面に表示される情報を、「さわって」「動かし」「変化させること」ができるようにした。そう、まるで実在する物質=粘土のように。
その結果、ぼくたちの感性はいつのまにか、「スマホのなかに表示される情報こそが〝現実〟だ」と錯覚するようになったのかもしれない。
そして、「スマホのなかにないもの」は、「この世界=現実に存在しないもの」として、ぼくたちの考えや共感の対象にならないように変化したのかもしれない。
追悼の言葉は、個人への思いや記憶は、数値に置き換えられない。
ぼくたちは、タッチパネルの平面に没入する代償として、現実のつながりや豊かさを失ってしまったのだろうか。
真の問題は、SNSで追悼をする是非ではなく、現実の葬儀の貧困にある。現実そのものの貧困にある。
ぼくたちが、現実に没入できなくなってしまったことにある。
そう思いません?——いや、そう思ってほしいんです。どうにかこうにか。
新年明けてみれば、早々に大変な災害が起こっている。
SNSで情報が大量に流れる。デマも多い。
現時点で安易なことは言えない。けどそれを見てまたいろいろと思う。
……災害はSNSで起こっているのではない。現場で起こっている。SNSで混乱しててもしょうがない。現場の混乱を補助するためにこそSNSがなければならない。SNSの平面に没入するあまり、現場の混乱を助長させては本末転倒なのだ。
……一方、僻地ではそもそも情報が届いていない。3日たっても災害の状況がわからず、連絡もとれない場所が多くあるという。災害時の地方の脆弱さがあらわになっている。奥能登では高齢化率も高い。当然、そうした場所の動画、情報はSNSにいっさい流れず、関心ももたれない。云々……。
■
ぼくらは見えるものしか見ない。見えないことについては考えない。
昨年秋におこなわれた「奥能登国際芸術祭2023」を見に行った際、現地の方から「芸術祭に金かけるくらいなら地震の復興に金つかえ」との言葉を聞いた。
ぼくは、そもそも昨年5月に奥能登で震災があったことを知らなかった。その程度のことも知らない、「アート」目当ての観光客にすぎない自分への批判にも聞こえた。
「見て」「さわって」「動かし」「変化できる」タッチパネルの平面は、その完成度が上がるほど、現実との区別が難しくなり、ぼくらの無意識の錯覚を増す。
平面に没入し、流動的に流れる目についた情報以外のことを考えなくなる。
そうした作用に警戒したい。
よし、警戒、警戒、警戒……おや、警戒するだけじゃ、埒が明かんな。
おっと。
いろいろ書きました。
2024年の抱負は、「現実に没入すること」です。つまりは、「現実をつくっていくこと」です。
平面の外の、深さと奥行きをもった立体的な現実へ。
数値化された計算におさまらない現実へ。
「いまだけ」じゃなく、過去の蓄積を歴史として紡いでいく現実へ。
そのためには、一度、スマホやSNSを「平面」ととらえ直し、そこに表示される情報は「現実」そのものではなく、あくまで現実の「加工された切り取り」だと区別することだ。
「そんなの当たり前じゃん」と言われるかもしれない。とっくにわかってるしやってるよ、と。
けど、あらためて言葉にしていきたい。そのあたりの混乱が、もにょもにょと気だるさや鬱や、虚無を呼んでいるようにも思うから。
現実がしっかりあるからこそ、SNSを現実の「補助」「切り取り」として有効に使えるのだ。その順序がたいせつだ。
そうじゃないと、たとえば、「インスタに上げるために映える場所に観光にいく」ように、ライブだって「ライブの現場よりSNSへのアップのほうが本体」になっていやしないかと……
それが悪いわけじゃないんだけどね。
さあ、弾き語り活動も14年目。
新しい作品も出していきたい。
歌、詩、曲、冊子、そして音源。
バンドもやっていく。
いままで蓄積してきたもの。
新しいお祭り。
人と人で、濃くなっていくこと。
世のなかに訴えたいこと。
自分の音楽で、できること。
なんのために音楽をやっているのか、原点にもどってやっていきたい。
深さと奥行きのある現実をしっかりつくっていきたい。
SNSや、ネットでは、「その現実」を流したい。
要は使い方だ。現実を代償にするのではなく、現実を彩り豊かにするためにSNSやネットと使えればいい。
リアルの現実と、ネット上の平面を、うまく両立させられたらいい。
■
広い現実は、ずっと過去からつづいているし、ずっと未来にもつづいていく。
宇宙全体のながーい永遠の時間を、自分の人生をつうじて、「切り取って」いく。
そうやって、不要不急だらけの自分の現実を生きて歌っていく。
SNSの時代でも、これから先また時代が変わっても、それは変わらない。
自分の人生を自身の素手で切り取り、世界に向けてぶつけることが、ぼくにとっての「歌うこと」だ。
外部の力に頼る前に、まず自分自身の素手で、世界を切り取らなくちゃいけない。
そのためには、日々、地道な努力と格闘なのだ。
■
以上。新年の抱負でした。
うん、正月休みに集中して書いてつかれた。
どうも抽象的で話が大きくてあんまり具体的じゃありませんが。
これ読んでくれる人いるのかな?
読んでくれてましたら、どうもありがとう。
いい年にします。
では。またそのへんで会いましょう。
2024.01.04