ヌマケン ((沼田謙二朗のWEBサイト))
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    • 2024年8月15日沼田謙二朗VS千葉の記録
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政治との向き合い方(私民用)
俺が総理なら
俺が9条なら
俺がSEALDsなら


・えーと、まあ、今日はまよこリハで、ま、こうして、音楽と、政治、、、これをむすびつけたい?まあ、歌詞の書く作業なんて、どうしても辛い苦しい作業なんだ。

・自分で、苦しいところに突っ込んでいこうとして。それは、なんかの、自罰感情だろうか?ああ、こうして、安易に(素人が)精神分析をぶってもしょうがない、か。

・この一月、安保をみて、安保にはまって、政治にはまって、ニュースにはまって、そうして、いまこうして、それを、距離をとらんとして、ライブ、近いから。

​o
ニュースにはまって時間つぶしてる
そんな習慣も終わりにしないとな

だって ライブ近いから
​ライブ近いから

・​ああ、俺が総理なら、ああ、それを、考えんだっけ。
ああ怖い。ライブ、では、そんな思索はまったく問題にされない。

ある、ない。
ある、ない、は、まったく問題にならない。

それは、怖いねえ。
怖いことだねえ。
このひとつきを ふりかえる
8月28日に国会前のデモにいった
1000人弱が雨のなか国会に向け声を上げる

「安倍はやめろ」
「戦争法案絶対反対」

ネットでは議論紛糾
右 と 左 が 真っ二つになったような様相だ

自分の立場が試されている
自分の立場が 問われているようだ


「言葉の戦争」が起こっているようなので
僕は自分と戦争することにした
僕は好戦的だ
僕は僕を殺すために 武器をとる

内側に発せられる言葉は 僕をひきさき
勝利者は僕を全面的に支配するようになる\\支配する権利を得る

僕は好戦的だ
外側では 平和だった世の中が
ますます荒れていった
戦勝者の僕は
敗戦者の僕を
そしり なじり 
くそみそに差別して
戦後の世界を独善的に歩もうとしていた
((事実だけが大切だ))((ここでは、「いいこと」を言わないようにすることだ))
戦争をしないことには 僕は統一されない
見せかけの平和が 抑うつの病をおざなりにするよりも
戦い 争い 正しさを決定し
本当の自分になるべきなんだ
(日本)
A ああ、もう終わりかね。おまえの「お勉強」も。

B そうかもなあ。なんか、やっぱり、ちがってたのかな?

A 単に知識を覚えても、身体表現、自己表現にはならぬのだ。
それはやっぱりそうだ。
でも、新たな認識が必要だったからな。

B 単なる情緒的なものになっちまいそうだったから。
「戦争」というテーマが妥当かどうかさえ、不明
というかあやふやだった。
そんな状態を脱するにはよかった。

A ナイーブな左翼の弱点も、右翼の論点からわかる。
ただ、表現においては<自分>に依拠してないといけないから、
位相が異なるんだ、お勉強モードとは。

B 知的欲求のたまものだからね。
それはいい。それで。
ただ、じゃあこっからどうするか。

​A この迂回を生かすべきだ。
はっきりと言える自分の立場をもつことだ。
何度でも繰り返せる自分の立場の表明。

震災のときと同様だ。

B 「言葉の戦争」ということに尽きる。
それに対する感想なのか、自己問答なのか。

「言葉の戦争」はいやだ、という思いがある。率直な。
でも、議論は必要だからね。

じゃあ、礼儀の問題か、というと、
もっと根源的に、根源哲学の問題になる。

そもそも、細胞の増殖は、価値の獲得だ。
ーーーそういう観点、レベルからの差し出し。

A 宮沢賢治の授業を、思い出すことか。

その「ナイーブさ」が重要なんだな。
でも「ナイーブ競争」にまきこまれたくもないんだな。

B それは、「こんなにナイーブなのは俺だけ」
という状況のはずだったのに、似たような連中が存在する、
ということによる自己存在の根拠の不安、というハナシか?

A そうだろうなあ。

​

社会のなかで暮らしてゆく
たくさんの人のなかの一人として
一人一人のもつ価値が
一人一人に侵食される
不安にさいなまれるとき
不安にならない武器をとるんだ
自分の価値を守ってくれる
自分の価値は自分で守れ
助けてくれる人なんて
いない や


「集団的自衛」権
その 言葉の 手前(前提)には
攻撃してくる誰か(あなた)がいる
僕らは世界を信じていないので
世界のなかで生き残るためには
武器をもち
いつでもお前をぶっ殺すに足るだけの
戦意と力を見せつけなければいけない


あなたは愛をもち
自分を犠牲にできるだけの
豊かさをもっているかもしれない
人と人が
求めるのに得られない愛を
それでもなお 求めるとき
愛をもつあなたを
排撃するようになる
見えないところから 銃で撃ち
苦しむあなたを
​あざ笑うようになる

A なんというか、「平和」というのは、なんだろう。
明らかに、もう<国>がどうのいうの別問題に、
個人のなかの「平和」というのもある。

きれいな青空がみえたとき、平和だろうか。
鳥のさえずりが、澄んで聞こえる朝、平和を感じることができるだろうか。

平和は、<内的な状態>なんだ。
そのことを歌いたい。

右翼も左翼も、平和になりたくて、
そのために、「戦争」をしてる。
お互いの「平和」は、内的システムの構造としては、
同型かもしれない。
しかし、表層の依拠している言説が、異なる。

その理由は、おそらくその個人の育った資質じゃないか。
​それを考えると、吉本隆明の出自論に近くなる。


ああ、おそらくSEALDsのれんちゅうがやったこと、これは「ひかりのえちか」なんだ。光のエチカは、死なないのだ。

▼    1    現状〜光のエチカへ

•    🔴    SEALDsの中心にあるのは、光のエチカ可能性。で、実は、これは誰にだってある。在特会にも安倍晋三にもある。

実は「理想の火種」は誰のどの運動にだって、その<中心>にはちゃんとあると。

僕はこれを信じたい。

そういう認識の上にたって思考したい。

•    🔴    批判されるより可能性のほうを信じる。とる。選ぶ。

「どちらの道?」と問われたときに、ヴェーユの言ったような方向を選ぶこと。

つまり、

「現状の提示されている道よりもっと根源的で理想的な道はある。向こう側にある」

ということを信じる。




これは観念的になるだけか?

そうじゃない。

足りないのだ。いや少なくとも俺には「足りない」と思える。いままで享受してきた、そういう、「理想への感受の感覚」がぜんぜん刺激されないのだ、いまの言説で。

<文学>なんだ。大事なのは。<詩>でもいい。

▼    2    文学を取り戻す

•    🔴    「中途半端さ」を再考する、といったって、それは無責任主義、不決断主義になってしまわないか?

ーーーそうだ。だけど、それが正確な「現状認識」だろう。「自己認識」だろう。ほとんどの人にとっては、だ。

それをすっとばして、抜かして、いいこと、正しいことを、人より勝ったことを、他人を糾弾しても、無効だよ、と。

•    🔴    文学の意義はここに宿る。人間性を考えること。想像力を使うこと。

ネトウヨって、なに考えてんのかな?このコメントは、どういう気持ちなのかな?

こういうことを、考えたりする。

そして、

「わからない」「理解できない」「ありえない」

となる。

•    🔴    「自分には理解できないこと」「自分じゃ絶対やらないこと」をみんなが言うようになった。

そうかもしれない。

でも俺はそうとも言い切れないところがある。




「俺はもっとひどい」

とも、言う自信もないが。

罵詈雑言はあるのだ。

それが、俺はもっとやさしいかもしれないが、偽善性には自信があるのだ。わかってるつもりなのだ。

•    🔴    偽善の自覚。「偽善者なんですよ、おれ。」ということは、ちゃんと言えといたほうがいい。

自分について、正確にわかっておいたほうがいい。

自分に詳しくなれないと、他人に対しても過剰評価したり、矮小化したりする。

どうしようもないのだ。

▼    3    ネトウヨへ言えること

•    🔴    さて、じゃあ、具体的にどうするのだろう。「ばか」に。

それは、考えてもしょうがないことかもしれない。

ネトウヨ的馬鹿は、どうしようもない。

そんなことより、それらを超える可能性の場を示して、

みんなを説得、動員しかけたほうがいい。




そうだろう。

ネトウヨってなんだ?

その答えはナゾのままだ。

▼    4    音楽してることから

•    🔴    「歌ってんだから」。そうだ。




歌ってるから、それは、「やってること」だから。




それも具体的行動で、そのなかで、表現してることがあるのだから。




デモ、選挙、政治、社会、

そういった「公的」圏内に、言葉の上からわかりやすくはいっていかなくても、

歌っているのだから。




実はそのなかでなされるべきことがなされていない。

•    🔴    具体的に歌うこと。他人に向かって開きながら、なにかを伝えるようすること。

僕のイメージでは、

「なにかの参考になれば」

ぐらいの感覚なんだ。

別に啓蒙できるか、したいという欲はあるとおもう、が、

それがまともにやっていけるかは、希望的期待でしかない。




だからとにかく、表現はまず「開く」こと。場を。

場を設定できること。

場を開く。現状起きているネット空間、リアル空間を超えて、まったくとらわれないで、

とにかく場を開く。

その上で、言ったらいい。




開くことが第一番目にくる。

開くだけでも功績になるほど、閉じられているものばかりなのだから。

▼    5    具体的方法、気構え

•    🔴    具体的には、批判とか、どう見えるかとか、推敲とか、整理とか、あまり気にせず垂れ流したほうがよいと思われる。

なにしろ推敲しはじめたら、それだけで終わるから。時間が。

時間がかかる、ということは恐ろしいことで、時間がかかってる内に自分自身が変容してしまう。

「考える人間」からアウトしていくのだ。きづかずに。




そうすると、、、




とにかく自分の考えることや期待することや妄想やらをその瞬間瞬間打ち消しながら、振り払うように考え続ける構えを解除しないでやっていかないとダメだろう。

そうすると、余計なことは考えるヒマもなくなるし、それでいいのだ。

余計な邪魔を受け入れてしまう隙をつくると、困ったことになっていく。




だから読む人のことを考えない。ただ、「俺から見てその人に<向かって>その人<へ>言う」ということが大事なのだ。

© numa-ken.net
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