ヌマケン ((沼田謙二朗のWEBサイト))
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超実存主義レビュー

まえがき

現在のライブハウス事情を考えると、やり手はいるけど聞き手がいないんですよね(無論やり手も減っているけど)。
やる側はみんな「どうやって届けるか」とか「売れるために」とか、色々思案して頑張ってると思うのです。しかし僕はむしろ「聞くこと」が大事なのだ、歌うことの前に聞くことの復活が必要なのだ、と思い至りました。

しかし「聞く」ということを能動的に行い、それをなんらかの批評にしたり言葉にしたりするという仕事は、メジャーの舞台に独占されてきました。
(たとえば、雑誌もWEBメディアも、そこに「載る」には条件がいるのです)
そしてそのことに僕らもみんな疑問を抱かず、「いかにメジャーの文脈に自分をのせるか」ばかり考えてきたように思います。
だから勝手にゲームをはじめようといいたい。
​
したい、いいたい、やりたい、できたい。
​ぬん、ぬん、ぬん、ぬん。

聞き手がいないなら、自分が聞き手になればいい。そこで「聞く」という行為を、もっと高度に豊かに可能性を広めていく。歌い手はいる。本当に必要で足りないのは「音楽を聞く方法」であるはずです。
​
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古木衆『青二才』 超実存主義レビュー

千葉県出身で僕とも交流のあるシンガーソングライター古木衆くんの新譜『青二才』から
Tr2「飛べない鳥」
を、沼田的超実存主義にもとづき歌詞自己解釈によってパラフレーズ、
それ自体がレビューだよ、という試み。

ちなみに、別に本人には言っておらず勝手にやっております。
いちおう報告はしますけど。
でも本来批評とかってそうやって勝手に自己生成するものでしょ?
そういう働きを自分たちの手にしなきゃいけないのだとおもってやります。

※CD音源の代わりにライブ動画をはっときます。
歌いたいことがない 下らないさと笑えもしない
​だから今日は今日だけは 僕のために歌を歌おう

​歌なんて歌ってるけどなんで歌ってんだっけ?って気持ちなのさ
歌うべきこととかもうとうに見失ってるしだからといってそんな滑稽を笑い飛ばせるほどタフでもないし
したがってもはや自己完結の循環をえがくしかないよね ほんとそうだよね
そんなふうにしてまた探したいんだよね 突き当たりたいんだよね
こんな状況を受け止めて乗り越えるために歌います
​
生きている理由なんてない だけど別に死にたくもない
真四角な空を守るために 僕らの羽は空(くう)を切るだけ

そんなこと考えてたら生きてることすらわかんなくなってきました
いや、生きてることがわかんないから、歌うこともわかんないんだっけ?
とかいろいろ言っても別に歌うのやめないし生きるのやめることもないんだけどね
「死にたーい」なんて、言葉の響きだけで言ったらなかなかなんとも能動的だけど
隠れたいとか逃げたいとか なにもしたくないとか なんでそんな気持ちになるんだろうなあ
「真四角な空」ってなんだろうね スクエアなんだよね 硬いんだよけっこう
空ってけっこう夢とか自由とか広がるもんだけどさ なんかトリミングされててさ
あらかじめ枠が決定されてんだよね なんか誰かに設定されてるよこれ
おかしいよ って思うけど仕方ないね
まあでも俺けっこうその枠のなかでやれるタイプかな
つって空回りしまくってるよね
不可能だから空は空で 不可能なことをやりつづけるために 空は四角くなくちゃいけないんだよ

簡単に空を飛べる鳥はいいよなって
​磨り減ったかかとで ここまで歩いてきた

鳥は空飛べる 自然状態で そのまんま イージーに
いいじゃんそれ 最高じゃん いいよなあ嫉妬 本音よそれ
俺なんてずるずる足引きずって 靴すり減って
まあでも密かにそれ誇りに思ってる、ってのは内緒な
だってダサいじゃん 言ったらオシマイ 自慢かよって
でも多少の自慢ポイントないと やってけねえってのもあるよな
「よかった探し」、たまにするよ

思う様に生きれなくて 茶化せるほど馬鹿でもない
だから今日は今日だけは 自分のために歌を歌おう

理想の自分とか、こうしたいって願望とか、ことごとく挫折したけど
それで無痛なほど無神経になったらやだね ああまだ繊細でよかったんだよ
かなり傷ついてるよねこれ でも傷つくことは正しい、といいたい

(古木はこれをこう歌いながら、メタ的に「傷つくことは正しいんだ」と主張している。つまり傷つき歌い、歌いながら傷つくことで、結果的に「たとえ傷ついたとしても、生きる(歌う)ことは正しいことなのだ」と彼自身が実証しているのだ。彼自身が歌いつづけるそのさまを見せることによって。それが「自分のために歌う」ということの意味であり、そのレベルで聞き手に届くことができれば、聞き手の生を肯定しうるのだといえる。)

そんな失敗とかやるせなさとか悔しさとか間違いとか、全部全部、認めた上で、自分で自分を肯定するために歌いたい
でもそれはへらへらしたものでも独りよがりのものでもない 絶望に裏打ちされた歌なのだ って言っておきたいよね

幸せでも不幸でもない 溜息は空へ消えた
似たような面ぶら下げて 誰もが幸せを願ってる
だから歩こう歌いながら 飛べない羽広げて

平凡なんですよね なんかいろいろやっても言っても ことさら目立つことなく まじ泣けてきた
「誰もが」っていうのは無条件に誰しも、ってことでさあ
みんな幸せになりたい でも思ったほど幸せになれない ということですね 哀れ
人って哀れよね 哀れなんだよ というか、別にそうしたくもないのにそうしちゃってることってあるんだよ
思ったことが思い通りにやれないことと同時に、そんなことしたくもないのになぜかそうしちゃってるとか
なんだよこれ 「飛べない羽」? ああ飛べないんだっけ 飛べないのに飛ぶことを欲望させる「真四角な空」って質悪だなあ
だったらもう飛ぶことよりてくてく歩くことを目指したほうがいいんじゃないのか?
ああそうだ そうだよ

本当は笑いたくて小さなハートがうずうずしてる
だから今日は素晴らしいと 誰かのために歌を歌おう
歌いたいことがないそれは何でも歌えるってことさ
だから今日は今日だけは自分のために歌を歌おう

うずうずしちゃってんのはほんと青二才です 青二才の俺です
いま俺青二才だけど、青一才だった頃のあの無邪気さを思うと、あれが俺の素顔だったかなとか思います
きっとそうでしょう でも今日は今日です いまはいま 今日のために歌いますよね
「成熟」ってことがあるにしてもないにしても、生きるということは無駄じゃないんだと言えなくちゃ、
生きてる甲斐がないじゃないですか、ほんとに
あ 歌いたいことがなくなったんで、歌うこと自体を歌っちゃいました
歌いたいことを歌おう、と思っていたけれど、歌いたいことなんてないんで、
まったく何も歌えない というところから出発して 「歌う」という意味はひとめぐりして変化しますね
何にも歌うことがないのに歌う、ということはどういうことだろう?
​

(ここで思い出したのは吉本隆明の「詩は 書きたいことがあるから書くんじゃない 書きたいこと 言いたいこと なんにもないから書くんさ」という詩。それは実存主義で、俺はそういった言葉がとても好きだしそれを必要とする性質なんだけど、二一世紀には古いのかな?とか思うし同時に普遍的な実存の問題だろうとも思う。そこらへんに対する考察と実証がこれからの課題としてある。)

目的って、後に決めるもので 人間は生まれちゃってから気がつくんですね 生まれてから意思が芽生えるんで、
生まれる前に意思があって「生まれよっかな〜やっぱやめよっかな〜」とかやってんじゃない
あと運命とかも事前にわかるわけじゃない そういう、なにか、保険の効くシステムにはなっていない
生まれてから再起動はできない シャットダウンはできてもね フリーズもするかもね
だから、人間は、「なんで生きてるんだろう?」って生きてること自体を考える生き物なんだよ
それはまったく不思議なことでもイタいことでもハズいことでもなく、
というかイタかったりハズかったりすることも含めて、人間が人間だからこそ抱く感情であり、
生きる道なのである ということで全肯定することもすればできるかもしれない

君のために歌を歌おう

​最後に、「自分」という最も近いものから、「君」という隣の存在へ
そうやって、自分で自分を見つめた経験から、他者を理解する目線へそれを生かすことがたいせつだ
「やさしさ」ってそこから生まれるんじゃないのか?人間らしさがもっとある世の中になってほしい
なんてことをつい思う ただ
自分の存在を肯定する そのことが そのまま誰か他の人を肯定する力になる
そういう回路が存在することを信じたい それを信じるという態度が「歌う」ということだと思う
つまり、「歌」や「歌うこと」が、人間存在のあいだにありつづけることの意味だと
なんかそんなふうに思う
​
​
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あとがき

真夜中にイヤホンで一曲リピート再生しながら文章を書いていると、だんだん歌い手と対話しているような気分になった。
心の奥で音楽を聞き、それをまた自分の言葉にする。
音楽をつうじて芸術言語のコミュニケーションができる。
他者の実存を知ることができる。
そしてまた、自分の実存を照らし合わることができる。

嗚呼、音楽は素晴らしい。
って、思いたいし信じたいっすよねえ〜。

古木くんのCDは彼のライブに行き直接買うか、
ダウンロード販売でもいろんなとこで手に入るようです。
アマゾン mora オリコン レコチョク

​
濃厚なかんじになりました。
​ほく、ほく、ほく。
自我流の無手勝流なので、意味が伝わりづらかったらごめんなさいだけど、
​まあ、こんなかんじで。
​

ぬほほほほ〜〜〜〜〜ん。

​
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