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4/28/2017

 
いま朝。ぼーっとする。風呂にはいった。出来事を淡々と。それが詩のあわいになる。なにかを予測して事前に恐れるこころというのはなかなか離れない。それでも待っていれば時間がすぎていく。

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 内向きのまま、外に出る、という姿勢がいいんだろうな、自分には、とおもうた。外に出る、外向きになる、と、外に合わせる姿勢になる。それはちがった。
 たぶん、自分の「仕事」をストックさせていく意識でいければいいんだ。フローのなかで最大の効果を狙う、というのでなく。
 昔のWEBはそうだった。おおむねホームページというのはアーカイブするものだった。「電脳的漫画論」とか(マンガ批評サイト)よく参考にしてマンガを買った。
 いつしか拡散し動員するためのWEBばかり目立ってきたけど、本来もっと勝手にやっているというか、個人的なストックコンテンツを公開する、というところにおもしろさと自由度があったようにおもう。
 昔のWEBは好きだったし、おもしろかった。いまはWEBも社会そのままというか、むしろWEBが社会というか、評価経済的な性質がとにかく全面的に前面に出ていて、それがつかれるし、異和する。

 昔がよかった、という話ではない。昔の方法をいまやってみると、いまだからこそおもしろくなる、というアイデアの話だ。現状追認と先取りの競争だって、本来の倫理的な正当性が備わっているわけじゃない。わけじゃないのに、人はそれを正当だとおもいたがる。そこに関してはオルタナティブでありたいとおもうし、そうでなくてはならないだろう。

「自分に対する自己影響を第一義とする」という例の原則をやってみる、と。つまり、そのストックは自分のためのストックなんだ、ということが自由度をあげるミソなのだとかんじるようになってきた。妙に利他的な言説にひっぱられすぎてはいけなかった。それは方便であり、よくて片面の真実にすぎない。今上天皇がマニアックな動物の生態に詳しいような、そういうたぐいのこだわりがいいんだとおもうし、そこを主張してよい。

 見いだしうるべき場所はある。やるべき余剰はつねにまっている。



 東浩紀が言っていた「敵の似姿にならない」ということが、たしかにそうだな、とおもえる。


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